
あえて、アンチテクノロジー?
前野 以前、「太刀川さんって天才だね」と言ったら、「僕は天才じゃない」って言われたのが面白くってね。天才と言われると、いかにも才能だけで仕事していると思われる。そこが嫌なんですか。
太刀川 天才願望はありましたけどね。残念ながら天才ではないことが明白な幼少期だったなあと思います。好きな子にモテたい一心で上半身裸でヌンチャクの練習をするような、他にもここでは話せないようなアホな小学生でしたねえ。
大学以降はとにかく、建築の設計やデザインがうまくなりたいし、アイデアも出せるようになりたい。でも、優れたアイデアを出すことがなかなかできない。そういうことができるようになるために、アイデアのルールを追い求めていた学生時代でした。
僕も最初から今のように仕事ができたわけではなくて、大学院の頃から研究してきている、アイデアや発想のルールをいくつかつかめたことが今につながっているので、「天才でなくても、きちんと方法論が身に付けば誰でもできる」と思っています。
前野 でも、その点も「天才だから学べたんじゃないか」という疑いがあるわけですよ(笑)。
太刀川 んー「天才だからできる」と言ってしまうと身も蓋もないですよねえ。実際天才ではないですし、今だって大してできるようにはまだなってはいませんしね…。
前野 「最初はできなかった」って聞くと、当時のダメだったころの話を聞きたくなりますね。
太刀川 建築の学生時代は、コンピューターでの設計が黎明期だったのもあって、評価されるポイントが「テクニック」の要素が強かったかもしれません。例えば、「模型をきれいに作れる」「コンピューター・グラフィックスを描くのがうまい」「Photoshopをうまく使いこなせる」といったことです。
技術が磨かれると、技術に導かれるように発想して作っていってしまいがちです。「こういう3次元曲面をCGで描けるようになったから、グニャグニャした形状の家具を作りたい」とか。誰も作ったことがないからかっこよくは見えるんですが、アイデアとして誰かに感動してもらえるかというと、どこかで見たことがあったり、「なぜ複雑なプロセスを採用したのか」という問いの答えに説得力がなかったりする。つまり、その形状にする必然性がないんですよね。
前野 なるほど。
太刀川 単に造形的な印象だったり、いかにもコンピューターで設計しましたというテクノロジー的な印象になったり…そういうものができてしまうことが多い。僕はこれがテクノロジーの最も大きな弱点だと思っています。
テクノロジーの進化によって表現は拡張します。でも、それは余計な表現の拡張で本質的な部分につながらないことも多い。だから、急激に廃れてしまったり、とても賞味期限が短いデザインになってしまったりすることが往々にしてあるのだと思います。テクノロジーが進化するサイクルは速いので、テクノロジーが更新されるとその前のものは古い事実になってしまう。表現も同じで、一瞬は流行するけれどもシュンっと消えてしまうんです。
前野 この対談は日経テクノロジーオンラインの連載ですけど、あえてアンチテクノロジーということですか(笑)。
太刀川 もともと僕は、テクノロジー系の学生でした。高校生の頃に「Windows95」が登場した世代で、3DのCADを使って建物を設計し始め、学校で先生たちは手書きなのに教わる学生側はコンピューターを使うという断絶の世代でもある。学生の間では「自分たちでテクノロジーを掘っていくぜ!」という雰囲気が満ちていた時代だったと思います。
ですから、僕自身もある程度はテクノロジーを使いこなせるし、何かテクノロジーっぽい表現もできる。でも、その表現に「強いアイデア」が付いてこないわけです。だからコンペに作品を出しても落ちるし、なぜそれが理解してもらえないのかが分からない。
でもね、そういうアイデアを出せるやつはすぐ出せたりするんですよ。何かのコツをつかんでいるようにみえる、というか。悔しいなあと。
前野 「こんなに最新のテクノロジーで頑張ったのに!」って思うんでしょうね。太刀川さんは、最初からグラフィックデザイナーだったわけではないんですよね。