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日立製作所 理事で研究開発グループ技師長の矢野和男さんと、慶應義塾大学大学院の前野隆司教授による対談の最終回。一度積み上げた研究分野ががらっと崩れ、新しい分野に移る経験をした矢野さん。当時はショックを受けたが、今思えば、ありがたいことだったと振り返る。常に新しい領域で試行錯誤を繰り返す矢野さんから見た、技術者や研究者としての幸せとは何か。
矢野さん(左)と前野教授(写真:加藤康)
矢野さん(左)と前野教授(写真:加藤康)

積み上げたものが崩れるショックは?

前野 昔の話で恐縮ですが、矢野さんは研究していた半導体の事業がなくなり、データの研究に軸足を移しました。その時に会社を飛び出て大学の先生になったり、海外に行ったりせずに日立に残ったのは、なぜですか。

矢野 なぜでしょうか。まあ、基本的に日立がいい会社だからだと思うんです。15年も幸せの研究をさせてくれたという、ある種の懐の深さは随一でしょう。

前野 もし、日立が半導体事業をやめていなかったら、今でも半導体の研究をされていたと思いますか。

矢野 きっと続けていたと思います。というのも、一度根が生えてしまうと強制的に「やめろ」という状況にならなければ、なかなかやめられないですよね。神様がそういう状況をつくってくれたというのは、本当に後から考えると非常にありがたい話です。

前野 なるほど。米国では哲学の研究者がニューロサイエンスの研究を始めたり、数学者が哲学者になったり、分野をまたいで結構動きます。日本ではなかなかそうは動けません。そういう意味では、今思えばラッキーなことだったと。

矢野 そうですね。研究分野を移ったことで、一度はそれまでの根がなくなってしまいましたが、20年続けた半導体の知識を直接的には使えなくても、ある種の抽象的な能力は培われていました。半導体はコンピューターの基盤ですから、何だかんだと半導体研究で培った知見は使っていますよ。

前野 でも、積み上げたものががらっと崩れていくという、何か精神的なショックなどはありませんでしたか。別に落ち込みもしなかったですか。

矢野 いや、そんなことないですよ。やはりショックはありました。

前野 でも、次に移るバイタリティーがすごい。逆にゼロになったから、学生時代からやりたかった「幸せ」の研究に移れると思われたのですよね。

矢野 そうですね、引きずってはいませんでしたから。何か前向きな挑戦で紛らわせたというか(笑)。

前野 ちなみに日立が半導体事業から撤退した時は何歳だったのですか。

矢野 43歳です。

前野 ということは、40代になってから本当にいろいろなことが起きたのですね。

矢野 そうですね。でも、経営学者のピーター・ドラッカーが有名な著書『企業とは何か』を書き始めたのは50代。つまり、あの膨大な著作群は、ほとんど50歳以降のものですよ。そう考えると、別にそんなに不思議ではありません。

前野 そうですね。僕が好きだった実業家の邱永漢さんは、60代、70代になって大量の本を書いているんです。それを見ると「何だ、俺もこれからだな」と(笑)。これからは人生100年時代ですからね。

矢野 そうですね、まだまだですよ。

前野 今後は、どんな研究テーマに張るんですか。