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不特定多数の人々が情報を発信し始める

 「図書館」としてのインターネットは2000年ごろには完成する。そこでは誰もが情報を検索し、受信する。それから数年後に、インターネットの性格に変化が生じる。人々がインターネットに向けて、自ら情報を発信し始めたのである。すなわちインターネットは、「図書館」から「メディア」へと発展していく。

 おりから「ウェブ2.0」という表現が流行った。インターネット時代の第2段階という感じで登場した言葉である。「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」、これがウェブ2.0の本質だという[梅田、2006、p.120]。

 インターネット時代の第1段階では、電子メールのやりとりとホームページの閲覧が代表的な使い方だった。それぞれ、特定少数間のコミュニケーションと、特定少数の大企業から不特定多数に向けての情報発信である。

 ところが第2段階(ウェブ2.0)になると、不特定多数が情報を発信し始める。ネット上の不特定多数の人々や組織が、能動的な表現者となっていく。ブログやSNS(Social Networking Service)で不特定多数の人々が情報を発信するのは、いまやありふれた光景である。

 人々は誰に向けて情報を発信しているのか。そして受信して欲しい人に届いているのか。ここで重要な役割を果たすのが検索エンジンやSNSだ。グーグル社や米フェイスブック社が、インターネット新時代を代表する企業となる。不特定多数の発信者と、同じく不特定多数の受信者を、検索エンジンやSNSが媒介する。

 2017年の流行語大賞は「インスタ映え」だった。SNSの1つ「インスタグラム」に写真を投稿し、「いいね!」獲得を競う。インターネットがこの段階に達するまで、人々がこんなに写真好きだったとは誰も知らなかった。自らの撮った写真を多くの人に見てもらいたい、そういう人がこんなにもたくさんいるとは、これも誰も知らなかった。というより、インターネットが、そしてSNSが、新しい欲望を創り出したと考えるべきだろう。あるいは新しい文化を創り出したと言うべきか。

 だから検索エンジンやSNSの創造は、それ自身、大きなイノベーションである。経済効果も、もちろん大きい。実際、2017年末における世界の時価総額ランキングでは、アップル、グーグル(アルファベット)、マイクロソフト、アマゾン、フェイスブックの各社が上位5位となっている[ファイナンシャルスター、2018]。

ちりも積もれば山となる──ロングテール効果

 「80対20の法則」と呼ばれている経験則がある。典型的な表現はこうだ。「売り上げの80%は、20%の優良顧客が生み出す」。

 ネットビジネスは、この「80対20の法則」を覆す。その状況をロングテール効果とかロングテールの法則と呼ぶようになった[菅谷、2006]。ロングテールの法則は図1のように表される。いろいろな商品を売れた数の順番に左から右に並べる。それぞれの商品が売れた数を縦軸にとる。そうすると図1のような右下がりの曲線になる。この曲線の左上を恐竜の頭に、右下を恐竜の尾に見立てる。右下に長くのびる線が「ロングテール」だ。

図1 ロングテールの法則
図1 ロングテールの法則
(参考資料:[菅谷、2006])

 例えば、実空間の書店では売り場面積が限られる。だから本屋さんは、あまり売れない本、すなわちロングテールのところに位置する本は、売り場に置きたくないし、実際に置かれない。だから、読者数の限られる専門的な本は、本屋さんに行っても見つからない。

 ところがネット書店には、売り場面積という制限が事実上ない。売れ行きの悪い本まで品ぞろえしておいても、コストはたいして増えない。だからネット書店なら、あまり売れていない本も検索すれば見つかる。少ししか売れない本でも、本の種類が多くなれば、合計の売上は大きくなる。ちりも積もれば山となるのである。

 クラウドファンディング(crowdfunding)もロングテール効果の一種だ。少額の資金提供を、インターネットを介して不特定多数に呼びかける。

 「100円寄付してください」と頼まれて拒否する人は少ない。100万人から100円ずつ集めると1億円になり、かなりのことができる。しかし100万人から少額寄付を集めるための費用が膨大になり、この種のプロジェクトは実現しなかった。ところがネットでは、これに近いことが可能になる。少額資金を大勢の人から集めるための費用が、ネットではそれほどかからないからである。

 クラウドファンディングはインターネットが開いた新しい可能性である。営利、非営利を問わず、新しい事業への賛同と共感を不特定多数に呼びかけ、少額の資金提供を募る。

広告依存型の旧来メディアは存続困難になりつつある

 インターネットが「メディア」になった以上、インターネットは新聞やテレビなどの旧来メディアと競合する。例えば、インターネットは、旧来メディアから広告収入を奪う。

 不特定多数の情報発信者と、同じく不特定多数の情報受信者を、検索エンジンで結びつける。これは広告にも当てはまる。例えば、検索サイト向けに安い料金でたくさんの広告を集めておく。情報を求めてネットを検索してきた読者の検索結果ページに、その検索内容にふさわしい広告を掲載する。

 安い料金の広告をたくさん集めるのは、旧来メディアでは効率が悪い。大手広告主から高い料金の広告を獲得すべく、旧来メディアは努力する。これが常識だった。

 広告市場における上記の「ちりも積もれば山となる」効果は、旧来メディアの広告収入を減らす。その結果、広告依存型の旧来メディアは存続困難になりつつある。

 旧来メディア企業の最大の収入源は広告である。ことに米国では、テレビ局だけでなく新聞も広告収入への依存が大きい。新聞や雑誌なら読者数、テレビなら視聴率に応じて広告費を設定する。読者の何人がその広告を見たか、視聴者の何パーセントがCMに反応したか、それが分からないまま広告主は広告費を出してきた。この「魔法」[オーレッタ、2010]をインターネットは壊してしまった。

 インターネットは広告料金をクリック数に比例させ、広告に反応した人たちの属性を、クッキー(インターネットユーザーのネット上での活動の記録)などから分析し、広告主に提供する。真実を知ってしまった広告主は旧来メディアには戻らない。日本でも、広告収入はインターネットの方が新聞より多くなっている。

 米国では多くの新聞社が広告収入の減少で破綻に追い込まれている。多数のジャーナリストが職を失っている。もちろん、ネット配信の有料化、ネット版への広告誘導、一部記事のアウトソーシングとそれを受注する企業の設立など、さまざまな努力・試みが進行中だ[大治、2009~2011]。

 それでも米国では、紙の新聞が立ち行かなくなることは、ほぼ共通認識である。広告収入だけに依存するテレビ放送にも、同じ運命が待ちかまえている。