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イノベーションは起こっているが…

 私たち1人ひとりの知識や判断能力は限られている。どうするか。賢人の知恵に頼るか、不特定多数の判断に頼るか。もちろん現実の社会システムは、いつだって両方に頼る。けれども人類の歴史は、大筋としては、不特定多数の判断に頼る方向に動いてきた。すなわち君主制より民主制、計画経済より市場経済。人類が、すなわち不特定多数のヒトが、長い時間をかけて選んできた歴史の方向、これこそが逆に、不特定多数の判断の確かさを照射する。

 民主主義はもともと最良解を保証するシステムではない。尭や舜(中国の伝説的名君)が常にいるのなら、名君にまかせたほうが良いに決まっている。けれども生身の名君は必ず乱心する。「ご乱心の殿より衆愚がまし」。これが民主主義だと私は思う。

 「一人の人間より多くの人間が集まった方が知識も知恵もあり、選択の結果より選択した議員の数が英知の証だ」。この観念が米国民主主義の基礎にある[トクヴィル、2004、p.141]。それは米国の建国の父たちが、「米国が今よりよい国になる」ための制度整備より、「米国が今より悪いことにならない」ための制度整備に腐心したからだという。そしてそのためには「多数の愚者が支配するシステム」の方が「少数の賢者が支配するシステム」より有効だろうと建国の父たちは判断した[内田、2005、pp.115-116]。

 すでに触れたように人類は長期的には、「少数の賢者が支配するシステム」より「多数の愚者が支配するシステム」、すなわち民主主義を選んできた。ただし、前述の「一時的混乱」の継続時間、この問題は深刻だ。衆愚はときに、正規の民主主義的手続きで、「ご乱心の殿」を選んでしまう。ヒトラーはその例といえるかもしれない。衆愚の知恵はやがて、ご乱心の殿を追放するだろう。しかしそれまでの時間、すなわちご乱心の殿の支配する期間、傷つく人が少なからず出てくる。

 近年、ご乱心の殿を衆愚が選ぶ傾向を、インターネットが増幅しているようにも見える。ご乱心の殿の支配する時間を、インターネットは減らせるだろうか。

 実はインターネットもまた、不特定多数に信をおく。繰り返し指摘してきたように、インターネットは「ネットワークのネットワーク」である。中心も枢軸もない。それは、一部が壊れても全体は動くようにするために選んだ道でもあった(連載第10回参照)。結果的にインターネットは、不特定多数のネットワークが互いに支え合うことによって機能している。その意味でインターネットは民主主義に通ずる。実際、グーグル社は同社のウェブサイトで、「Democracy on the web works」を信じるとしている。

 経済の分野でも、少数の賢者の立てる計画に信をおく社会主義経済は、100年近い実験の末、不特定多数の欲望にゆだねる資本主義経済に敗れ去った──はずだった。ところがここへきて、世界各地で資本主義への不信が渦巻く。

 新しい「差異」は今も次々に生み出されている。企業家はそれを「市場に媒介」し、新興企業が利潤を伸ばしている。先に挙げた時価総額ランキング上位企業が、その例だ。すなわちイノベーションは起こっている。ところが先進国では、マクロ経済の成長は弱い。活発なイノベーションが中間層の豊かさをもたらさず、特定少数への富の集中を招いている。すなわち格差、これが資本主義への不信の核である。この問題については稿を改めよう。

(敬称略)
【参考文献】
和文文献は、著者の姓の五十音順に配列する。欧文文献は和文文献の後に記載している。配列は著者の姓のアルファベット順である。

[内田、2005]内田樹、『街場のアメリカ論』、NTT出版、2005年.
[梅田、2006]梅田望夫、『ウェブ進化論──本当の大変化はこれから始まる』、筑摩書房、2006年.
[大治、2009~2011]大治朋子、「ネット時代のメディア・ウォーズ:米国最前線からの報告」、『毎日新聞』、2009年11月23日~2011年5月28日にかけて十数回の連載.
[オーレッタ、2010]ケン・オーレッタ、『グーグル秘録』、文藝春秋社、2010年.
[喜多、2003]喜多千草、『インターネットの思想史』、青土社、2003年.
[喜多、2005]喜多千草、『起源のインターネット』、青土社、2005年.
[國領ほか、2000]國領二郎(監修)、佐々木裕一、北山聡、『Linuxはいかにしてビジネスになったか──コミュニティ・アライアンス戦略』、NTT出版、2000年.
[菅谷、2006]菅谷義博、『ロングテールの法則』、東洋経済新報社、2006年.
[電電、2010]「PSTNのマイグレーションについて」、NTT西日本・東日本の共同ニュスリリース、2010年11月2日.
[トクヴィル、2004]トクヴィル(松本礼二訳)、『アメリカのデモクラシー』、第1巻(下)、岩波書店、2004年(原著刊行1835年).
[ハフナーほか、2000]Katie Hafner and Matthew Lyon、『インターネットの起源』、アスキー、2000年.
[ファイナンシャルスター、2018]ファイナンシャルスター、「時価総額上位企業(1992年と2016年)/グローバルでは大きな変化、日本は同じ顔ぶれ」および「時価総額上位企業(1992年と2017年)【データ更新】」、2018年1月11日.
[ファクラー、2012]マーティン・ファクラー、『本当のことを伝えない日本の新聞』、双葉社、2012年.
[村井、1995a]村井純、『インターネット「宣言」』、講談社、1995年.
[村井、1995b]村井純、『インターネット』、岩波書店、1995年.
[安田、2006]安田朋起、「ウェブが変える1」、『朝日新聞』朝刊、2006年7月27日付.
[脇、2003]脇英世、『インターネットを創った人たち』、青土社、2003年.
[Licklider, 1965]J.C.R. Licklider, Libraries of the Future, The MIT Press, 1965.