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あるある事例

 新任の工場長A氏は、赴任直後に開催された定例の生産会議に参加してあぜんとした。製造部門は当月の生産状況を、品質部門は同じく品質状況を、表やグラフを多用した見栄えの良い報告書に仕上げて会議に臨んできた。その報告書を見たA氏は、この生産会議で交わされる議論を期待したが、その期待は全くの空振りに終わってしまった。

 製造部長は用意した資料を示しながら、当月の生産実績や歩留まり、各設備の稼働率などの実績について詳細に報告した。一方、品質部長は当月の品質実績やクレームの件数、その内訳などを報告した。各部門で設定されたKPI(Key Performance Indicators、重要業績評価指標)は適切で、明確な目標数値が提示されているだけではなく、日々の実績としてデータを取っていることは、この工場の管理力の高さを物語っている──。そう感じたのだが…。

 各部長の報告が終わり、「いよいよ内容を討議するのだな」と思った途端、会議は散会するというのだ。A氏は温厚な人柄で、部下の叱責などには慎重な人物である。だが、さすがにこの時ばかりは「この会議は何が目的なのですか?」と聞かずにはいられなかった。

 A氏は続けて「事実の報告はよく分かりました。でも、この会議は、事実を基に今取り組まなければならない課題を考え、それにどう対応するのかを議論する場ではないのですか」と問い掛けた。しかし、参加者からは「何も知らないくせに新しい工場長が面倒なことを言い出した」という雰囲気をあからさまに示しながら、「この会議は状況の共有が目的です。それぞれの課題は、各部門が責任を持って遂行することになっています。各部門の実績は、結果として次月のKPIに反映されるはずですから、それで各部門の実績を評価しています」という言葉が返ってきた。

 A氏の考える定例会議(例えば、月例の生産会議や品質会議など)は、事実データを客観的に分析した上で、今何が課題なのかを関係者たちに示して必要な対策を取る。これにより、目標を確実に達成させる。各部門は事前に事実データを基に、何が問題でその問題解決のためにどうすべきかを検討する。その上で会議に臨み、自部門だけでは解決できない諸般の問題を関係者が一丸となって解決に向かう。この姿こそが、本来の定例会議のあるべき姿である。しかし、この工場では計画と実績という事実の報告だけしか行われていない。一番大切な「これからどうするのか?」という討議が行われていなかったのである。

実績を把握するだけではダメ

 前回のコラムで「結果オーライ」の工場にしないためには、管理のPDCAを回すことが重要だと話した。しかし、現実はどうだろうか。日々の生産と出荷に追われている実務部隊は計画してそれを実行するものの、実行した結果を把握し、そこから問題点をあぶり出して、速やかに必要な対策を行うことまではできていないのではないだろうか。

 先のあるある事例では、確かに計画を立てて実行し、その結果を把握した上で報告書に仕上げている。しかし、報告書には結果の総括や問題点の指摘は含まれていない。そのため、解決すべき問題があったとしても各部門の自主性に委ねられている。つまり、各部門に任せきりの状態なのである。あるある事例の会社では、実績をまとめていることがPDCAの「C」であり、各部門での個別活動は「A」であるという。すなわち、この状態でも、PDCAを適切に回しているという認識だったのだ。

 実績の把握と分析は極めて重要だ。毎日積み上がる生産や品質のデータ(=数字や文字の羅列)を並べているだけでは、生産現場の実態を正しく理解できない。適切な分析を行って問題をあぶり出したり、QC7つ道具を使って問題の可視化を行ったりすべきだ。その過程で明確化された問題に対して速やかに必要な対策を講じることで、年度計画の確実な達成を図る。ここまでの取り組みを日々実行して、ようやくPDCAのCとAができたと考えるべきだろう。自分の職場を振り返って、本当に有効なPDCAが回せているか、冷静に考えてほしい。

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