連日の熱戦で幕を閉じた平昌オリンピック。メダル争いの裏側では、国を挙げたアスリート強化のグローバル競争が繰り広げられている。トップアスリートによるハイパフォーマンススポーツを取り巻く環境は、今後どのように変化していくか。これから10年のスポーツビジネスを展望したレポート『スポーツビジネスの未来 2018-2027』(日経BP社)で「ハイパフォーマンススポーツの未来」について執筆した、日本スポーツ振興センター(JSC) ハイパフォーマンス戦略部部長の久木留毅氏(国立スポーツ科学センター 副センター長/専修大学教授)は、トップアスリート育成の知見は新しい輸出産業の創出や社会課題の解決につながる大きな可能性を秘めていると語る。(聞き手は、久我 智也)

「わずかな差」で、いかに先んじるか

―― 久木留さんは「これからの10年、トップアスリートの強化では、サイエンステクノロジーとスポーツ医科学が、これまで以上に密接な関わりを持つようになっていく」と、『スポーツビジネスの未来 2018-2027』で指摘しています。

久木留 ハイパフォーマンススポーツは、「わずかな差」が勝敗を分けます。選手自身の不断の努力や、優れたコーチによる良質な指導の重要性は言うまでもありませんが、これらを支え、わずかな差を生み出す要素として、サイエンステクノロジーとスポーツ医科学は極めて重要な役割を果たすようになっています。

久木留 毅(くきどめ・たけし)
久木留 毅(くきどめ・たけし)
日本スポーツ振興センター ハイパフォーマンス戦略部部長・国立スポーツ科学センター 副センター長/専修大学 教授。専修大学卒業、筑波大学大学院体育研究科修了(体育学修士、スポーツ医学博士)、法政大学大学院政策科学専攻修了(政策科学修士)、英国ラフバラ大学客員研究員。日本レスリング協会特定理事、元ナショナルチームコーチ、テクニカルディレクターなどを歴任。2015年10月から日本スポーツ振興センターに在籍出向中(写真:加藤 康)

 分かりやすい例は競泳です。競泳では2008年から2009年にかけて「ラバー時代」と呼ばれる期間がありました。英国のスピード社が開発した「レーザー・レーサー」という水着を着た選手が数多くの世界記録を樹立した時代です。

 この水着は特殊なラバー素材で作られたもので、従来の布地の水着にあった縫い目がなく、体を強く締め付ける構造によって体の凹凸が少なくなるという特徴がありました。その後、レーザー・レーサーの使用は禁じられましたが、サイエンステクノロジーによって作られた用具による「わずかな差」が、大きな効果につながった事例といえるでしょう。

 興味深いのは、ラバー時代の記録を超えることは難しいと考えられていたにもかかわらず、その後も五輪や世界選手権でラバー時代以上の記録が生まれていることです。レーザー・レーサーを超えるための新たな水着の開発や、スポーツ医科学の進歩でフォームの研究が進んだことなどが大きいのだと思います。

―― 最近は、IT(情報技術)分野のテクノロジーを選手強化に活用する動きが活発です。

久木留 トップアスリートのトレーニング分野では、今後も様々なサイエンステクノロジーを活用していくことになるでしょう。各種センサーを用いた身体の動きやバイタルデータの解析、VR(仮想現実)、ドローンなど、IT分野のテクノロジーの活用は大きな流れの一つです。トレーニングの現場で、ITはこれまで以上に浸透していくことになります。

 既にプロスポーツなどで応用が始まっていますが、VRを用いれば、対戦相手の動きや、より高いレベルのプレーをアスリートに疑似体験させることができます。例えば、スキージャンプでジュニアの選手がシニアのスピードや高さに慣れるために、VRと風洞装置を組み合わせ、シニアの距離を疑似体験させるというような取り組みも考えられます。こうしたトレーニングは、スピードスケートや自転車などの競技でも有効でしょう。

―― サイエンステクノロジーとスポーツ医科学の応用は、他の領域でも広がっているのでしょうか。

久木留 コンディショニング管理や、けがのリスク低減といった分野の研究が活発です。特に、リカバリーへの期待は大きいですね。トレーニングの効果を高め、試合で結果を出すためには、蓄積した疲労をスピーディーに回復することが大切です。リカバリー分野の研究は、アスリートのパフォーマンスの向上に大きく寄与していくでしょう。

 例えば、「クライオセラピー(Cryotherapy、冷却療法)」という最先端のリカバリー手法があります。冷たい水と暖かいお湯が張られた浴槽に交互に浸かる「交代浴」というリカバリー手法を、さらに進化させた手法です。交代浴は血管の収縮と拡張を繰り返すことで早期に疲労物質の排出を促す手法ですが、クライオセラピーではカプセル型の冷却装置内に体を入れ、液体窒素を気化させた非常に低温のガスを流し、瞬間的に体を冷やす。30分ほどの時間が掛かる交代浴に比べ、わずか数分間で完了するというメリットがあります。

10年後のハイパフォーマンススポーツの構成要素
10年後のハイパフォーマンススポーツの構成要素
(図:久木留 毅氏が作成/日経BP社『スポーツビジネスの未来 2018-2027』より)

 リカバリー分野では、睡眠や栄養補給も大きな注目を集めています。例えば、質の高い睡眠は疲労回復だけではなく、パフォーマンスの向上をもたらすという実験結果が出ていますし、栄養補給でもドーピングの観点から、アスリートに的確なアドバイスを行う、よりスポーツに特化したファーマシストや医科学スタッフの重要性がこれまで以上に高まっていくでしょう。

 ただ、スポーツにおける最新テクノロジーの導入は、競技の公平性という観点で課題も抱えています。より新しいテクノロジーが使える選手ばかりが有利になってしまう可能性があるからです。レーザー・レーサーを取り巻く議論は、その典型でしょう。先ほど挙げたクライオセラピーも、公平性の観点からオリンピックでの使用が禁じられました。最新テクノロジーの活用と、各競技におけるレギュレーションは、今後もいたちごっこが続くと思います。