求められる競技以外のサポート

 最近は東京パラリンピックに向けて障害者スポーツ支援の気運が高まり、アスリートの雇用は拡大しつつある。では、パラリンピック招致が決まる以前はどのような状況だったのか。エランシアのサービスを利用して転職を果たし、競技中心の生活を手にしたアスリートの1人である深澤美恵氏(車いすテニスでアテネ、北京の両パラリンピックに出場。現在はコロンビアスポーツウェアジャパンに所属しながら、関東車いすテニス協会の副会長として普及活動にも力を入れている)は、かつての状況をこう振り返る。

車いすテニスでアテネ、北京と2度のパラリンピックに出場した深澤美恵氏。2002年から2007年まで全日本選抜車いすテニス選手権大会で6連覇を果たすなど、日本のトッププレイヤーとして活躍。現在はコロンビアスポーツウェアジャパンに所属し、関東車いすテニス協会副会長として普及活動にも携わっている
車いすテニスでアテネ、北京と2度のパラリンピックに出場した深澤美恵氏。2002年から2007年まで全日本選抜車いすテニス選手権大会で6連覇を果たすなど、日本のトッププレイヤーとして活躍。現在はコロンビアスポーツウェアジャパンに所属し、関東車いすテニス協会副会長として普及活動にも携わっている
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「以前は仕事と競技を両立せざるを得なかったので、平日に仕事、土日に練習や試合をするというスケジュールでした。そのような状況だと自分の体を休ませる時間も取れず、体調を崩してしまい、一時的に車いすテニスから離れたこともあります。私の場合はその後、競技に復帰できましたが、同じような理由で車いすテニスを諦めてしまう選手もいました」

 競技だけではなく、普及活動にも携わっていきたいという考えを持った深澤氏は、車いすテニスにより集中できる環境を求めて転職活動を行うことになった。転職活動の中で、エランシアと出合い、サポートを受け、競技に集中できる環境を手に入れた。その結果、「お金の不安はもちろんのこと、体の負担が大きく減りました」と深澤氏は話す。

 高原氏のサポートによって、アスリートたちは金銭面、身体面の負担を減らし、競技に集中できるようになっていった。さらに深澤氏は、高原氏のような存在が精神面でも力を与えてくれると語った。

「今、車いすテニスでは、トップクラスの選手の多くが高原さんのサポートを受けています。サポートをしている選手たちが参加する国内の大会には必ずと言っていいほど応援に顔を出してくれますし、それが原動力になるという選手は大勢います。例えばマネジメントの部分など、競技以外の面で困ったことがあった場合、以前は相談できるのは先輩や協会の方ぐらいでしたが、高原さんは他の競技の選手たちもサポートしているので、そうした経験から的確なアドバイスをしてくれるんです。こうした支援は本当にありがたいですね」

 健常者のトップアスリートであれば、マネジメント会社や所属チームのマネージャーなどが競技以外の面での負担を極力排除してくれる環境にあるが、障害者スポーツの場合、まだそこまでの体制ができているとはいい難い。現在、エンターテインメント大手のエイベックスなどが障害者アスリートのマネジメントを手掛けているが、そうした「競技以外の面でのサポート」は今後さらに求められることになるだろう。

アスリート採用は企業にとって一挙両得

 障害者スポーツに注目が集まる前から、障害者アスリートたちの支援を続けてきた高原氏。では、現在の障害者アスリートを取り巻く状況をどのように見ているのだろうか。

「ここにきて、障害者アスリートに対する企業の考え方が変わりつつあることは間違いありません。パラリンピックの東京招致が決定して以降、すべての時間をアスリート活動に充てていいという企業も増えてきました。アスリートたちが活躍することが広報につながる、すなわち競技活動が業務であると考える企業が増えてきたからです」

 かねて、日本のスポーツ界を支える企業スポーツは、企業の広報や社員の福利厚生の役割を持っていた。2020年の東京オリンピック・パラリンピック招致によって障害者スポーツへの注目度が高まり、障害者スポーツもその役割を担うだけの力があると認められてきたのだろう。ただ、障害者アスリートが企業にもたらすものは広報や福利厚生の側面だけではない。障害者アスリートの雇用拡大につながる要因はもう1つある。それは法定雇用率の確保だ。