強制vs.自由意志:スポーツ選手を育てるもの

 何事においても、指導はとても難しいことです。強い選手が、良いコーチになれるとは限りませんし、教え方がうまくても実技を伴わない人を信用してついていけるかどうかは微妙です。素人の趣味の域においても大きな影響を受けましたから、世界レベルを目指すアスリートは特に、コーチとの出会いが人生の勝敗を決める鍵となるのでしょう。技術面だけでなく、内面までつぶさに観察し、心にも踏み込んで指導できるコーチと出会えるかどうかです。

 指導と言えば私も職業柄、そういう立場にもなりますが、学生さんを通してご両親の影を感じることが多々あります。時代が変わったと痛感するのは、子供の習い事と将来を直線的に結び付ける傾向が強くなったことです。

 筆者自身も多くの習い事を経験してきましたが、両親にはそれをプロとして生業にさせようとする意図は皆無でした。人間のたしなみとして一般教養を広め、得意なものを通して友情を深められたり、人間的な幅や深みにつながったりすればという気持ちだった、とうかがえます。

 ただ一点だけ、自分の希望で始めた以上は、上達しないから、飽きたからといってすぐに辞めるのはダメだといわれました。それさえ守れば、体調が悪くて休んでも失敗しても応援してくれました。辞める自由も続ける自由も自分にあったわけです。

 現代の親御さんはスポーツに限らず受験でも芸事でも、子供の意志というより、自分の果たせなかった夢や直面した現実を、未来のある子供に背負わせる傾向が強いなと感じる場面が多いです。もっとのびのびと、ヘルプを求められた時には陰で支え、静かに見守ることはできないものだろうか、と。

 小さい頃から、サッカーを習わせるなら中田選手、テニスなら錦織選手を目指すか、その裏返しで「スポーツで食べていけるわけない」と習うこと自体に反対するか、どちらか両極に振れるようです。目標が高いのは良いことですが、当然、檄は飛ぶ、熱は入る、言葉は荒くなる。あるいは、やる気の芽を摘んでしまう。その結果が裏目に出てしまうと、親の顔色を見て言われたことだけをする子供か、やる気がなく常に損得勘定する打算的な子供か、偏ってしまうわけです。

 現代において、プロのアスリートを目指す道は平坦ではなく、本人の素質以外に、親の支援(資金・励まし・指導・ある時は強制)が必要不可欠で、子供の自由意志だけで成し遂げることは困難でしょう。でもそこに自主性が伴っていなければ、ストレス耐性も低く、結局誰のためにやっているのかも分からなくなってしまいます。

 最も避けるべきことは、子供の自由を奪いつつ、ほんの一握りの世界的アスリートを目指させておきながら、途中で辞めざるを得なかった場合の挫折感を親子とも後の人生に心の傷として残すことです。スポーツ本来の意義が消えてしまうことだけは、本末転倒だと思います。なにはともあれ、適度、適当が難しい時代ではありますが、親としての役割は優しい陰の支援に徹するのが、難しいけれども重要ではないかと思います。