水着を軸に回るスタッフと現場

 金岡ドクターへの取材を終えた直後、著者の脳裏にはさまざまな光景が浮かんできました。実力でははるかに上の選手が、LRを着て速くなった格下の選手に負け、その後の水泳人生まで左右されてしまった姿、値段が高価(7~8万円)なため購入できない貧しい国の選手たちのやるせない様子、上位進出の実力のない選手までLRに頼ろうとした光景、品薄で手に入れられなかった選手の不安げな表情などです。

 当時の現場でのエピソードを伺えば伺うほど、選手はもちろんのこと、コーチ、スタッフにとっても、この水着の存在そのものが、勝負前の心を乱される一因となったのではないかと思えてきました。大舞台に立ってただでさえ平常心を保つことが大変なところに、さらに苦労が増えたようなのです。水着の差が勝負にここまで影響するとなると、フェアスピリットを妨げる不公平を助長するものとして問われるべきはドーピングだけでよいのだろうか、という疑問さえ頭をもたげます。

 我々視聴者に見えるのは、テレビ画面に映し出されるほんの数分間のレースだけですが、その裏ではレース以外のさまざまな思惑、中にはアンフェアなやり方との戦いもあり、勝負強いアスリートに強靭な精神力が要求されるのは、こういう全てをひっくるめた相手に勝ち、さらに動揺しようとする己に勝つ、ということなのかなと感じました。

 古代オリンピックの時代から公平な競技環境を造っていくのは、競技団体の最も重要な役割でありました。金岡ドクターは、政治力や経済力が競技力の差にならないようにしなくてはいけないし、生身の人間の力を評価する神聖な場所に余計なバイアスが入ることを、いろいろなレギュレーションを作り、きちんと守っていかなければいけないと、強く述べられました。