LRで速くなる選手とならない選手
前述のように、当時の水泳関係者の間で大きな謎になっていたのが、LRを着ることによって速くなる選手とそうでない選手がいたという事実です。なぜ選手によって効果が分かれたのか、その理由を金岡ドクターに改めて伺ってみました。
「最近だいぶ解明されてきたことですが、近年では水中での姿勢保持のために体幹深部筋の活動が重要視されています。レースの前に、その活動を高めるためのウオーミングアップも取り入れられています。その視点でLRをみると、きつい型の中に体を押し込むようにして体幹の剛性を高めていたのかと推察されますので、体幹の安定性の低い選手はこれを着ることによって速くなりましたが、もともと体幹安定性の高かった選手にはあまり恩恵はなかったのかと思います」。
「選手にとってLRの現実的な問題点は、体の締め付けが相当きついため脱着に時間がかかり、特に女子は更衣室で悪戦苦闘しており、レースが終わると一刻を争って脱いでいました、ただ脱ぐのも大変で中には切って脱いでいる選手もいたように覚えています。今から思い返すと、いろいろな意味で振り回された印象が強いです」と当時の舞台裏について率直にお話くださいました。
北京五輪では17の世界新記録が出たのですが、トップクラスの出場選手が多くこの水着を着用していました。金メダリストのうち着用していた選手は94%にも及んでおりました。
その中に、あの北島康介選手がいました。当時、ミズノと専属契約を結んでいた北島選手は、当然ミズノの水着を着るものと思われていましたが、スピード社のLRを選択。そのニュースに筆者は耳を疑いました。勝負の世界は勝つ可能性が高くなるのなら義理も何も関係ないのか、と単純に思いました。
しかし、「LRはある意味ではサーフボードの上に乗っているようなものです。だから、水着というよりは道具の範疇に入るものかもしれません。選手の実力よりも水着の方に世間の注目が集まっていた北京五輪の選考会で北島選手は『泳ぐのは僕だ』と書かれたシャツを着て出てきました。生身の人間同士の公正な競技の場を求めるアピールだったのかと思います」(前出の金岡ドクター)。
このコメントを伺うにつけ、本来「主」であるアスリートをサポートするために開発されたはずの「従」の存在による思いがけない“反乱”とでも言うべき状況だったようです。それなのに「スポンサーなどの大きな資本の力と、選手一個人の気持ちはどちらが優先されるべきか」という問題なのかと思ってしまいましたし、さらに非礼なことに「勝つためなら選手は手段を選ばないもの」と勝手に思い込んでしまいました。当事者の方々の複雑な思いや事情は、想像以上のものでした。
このように、多くの謎や人の思いをはらんだLRでしたが、速くなる可能性を秘めた魅力的な水着であることは確かでした。一昔前の一般的概念では、素肌部分が多く生地が少ない水着の方が速く泳げると考えられていましたよね。それが近年、特に2000年のシドニー五輪を境に、競泳水着は工学的手法を採用し、それまでとは違うアプローチで水の抵抗を減らすことに焦点を当てて開発されるようになったのです。
それでは、次回の「オリンピック競泳水着をテクノロジーする」で、LRまで競泳水着がどのような変遷をたどってきたのか、その進化を、歴代五輪大会を軸に女性用水着をご覧いただきながら、過去の文献や写真と共に紹介させていただきます。
日本オリンピックアカデミー編, 『オリンピック事典』, 三栄社, 2008年.
城島栄一郎ほか, 「水着と競泳記録の関係」, 『実践女子大学生活科学部紀要』, 2011年.
松崎 健, 「競泳水着における表面形状と抵抗」, ミズノ.
佐藤次郎, 『東京五輪1964』, 文春新書, 2013年.
競泳水着クラブ( http://plaza.rakuten.co.jp/dressing/ )