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 「人工知能は人間の仕事をどこまで奪うか」についての議論を新聞紙面などでよく目にする。筆者もその議論を始めた一人かもしれないが、巷に散見する多くの議論に違和感がある。

 違和感は大きく2つある。1つは、技術の加速度的進化を想定していない点。人工知能技術の開発は、昨日できなかったことが今日はできるようになり、今日できなかったことも明日にはできるかもしれない、といった勢いで進められている。「2045年に人工知能が人間を超える」とするRaymond Kurzweil氏の予測も、技術の加速度的な進化を前提にしている。そのため、昨日できなかったことは今日もできないというスタンスでの議論には意味がないと感じるのである。

もう1つの違和感は、多くの議論が「人間はAが苦手でBが得意、一方、人工知能はAが得意でBが苦手。だから、上手く棲み分けが可能だ」、という棲み分け論である点だ。大学の著名な教授でも、こうした意見を披露していることが多い。

 技術の進化を考慮しない短期限定の話であれば、こうした指摘は必ずしも間違いではない。ただし、実際には技術は急速に高度化し、人間と人工知能の棲み分け論は、長期的には成り立っていない。

 例えば、ディープラーニングが本格的に登場する2000年代半ば以前は、例えば、A=大量の計算を高速にこなす、B=柔軟な視覚機能だった。この視覚機能は、文字認識1つにしても人間と人工知能とでは大きな差があった。人間は活字はもとより、逆さになった文字、手書き文字、そして乱雑な背景の中に埋め込まれた文字も読み取ることができるのに対し、当時の人工知能はそれらを苦手としていた。それぞれの例についてその都度、学習させればできるようにはなるが、別のバリエーションには対応できなかった。