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実利的な魅力の対極にある感性的な「クール」

 そこで「クール」とは何かという基本的な設問に話を戻してみることにします。経済的に成功し財務指標で成績を上げることもクールなわけですが、それではドライすぎるというところから話は始まりました。お婿さん選びの段となっては、高収入がモテるのは当たり前の話です。基本に立ち返って、純粋だった小学生の頃からの学生・アマチュア時代に「モテた男子」の系譜をたどってみると、クールさを定量化するという試みへの展望が開けてくるのです。

 小学生の低学年の頃を思い出すと、素朴に足の速い男子がクラスのヒーローになれました。しかし中学受験も気になる高学年になると算数や理科のできる子が一目置かれるようになります。中学に入って部活動が始まると、サッカーや野球など球技に秀でた男子がもてはやされるようになります。

 これが高校生の年齢にもなると、体育会系に加えてバンド(軽音楽)やファッションセンスなど軟派な要素も重要になってきます。学科の方も、小中学校時代はモテたはずの理系男子はいつしかマイナーな存在になり、男子ばかりの理系クラスに暮らすオタク的な扱いを受けるようになってしまいます。

 大学生活も後半戦になり就職戦線を迎える頃には、金融・財務や経営マネジメントの話題に明るい男子の方が合コンでもモテるようになるわけです。そろそろ将来の年収が見えてくるころです。その方向性を突き詰めていくと、国全体の稼ぐ力であるGDPという経済指標での勝ち負けの世界へと収れんしていくという構造です。

 つまり、経済競争力という身もふたもない実利的な魅力の対極にある感性的な「クール」という言葉の根本とは、小学生の頃からの魅力の源泉であった「走力」や「球技力」などの体育や、「美術」「音楽」のような芸術、「理科」「算数」の類の科学といったような、基本教育課程での個々の科目に秀でているということを意味しているというわけです。だとすれば、それぞれの分野で世界を極めるほどの専門家たちの成績を比べてみることで、各国のクール度成績表のようなものをつくることも可能になりそうです。

 先端数学者やトップダンサー、プロサッカー選手から文豪、画伯に料理の鉄人など、若いうちから各科目に自らの専門性を絞り込み、世界的に認められるほどに熟達すると、それだけで食っていけるほどの才人として富と名声を手にすることができます。どんな世界でもコンクールやワールドカップ、世界ランキングや世界選手権というような腕試しの仕掛けが用意され、世界一のタレントを選んで愛でたくなるというのが世の習いです。実会社のシーンでは役に立たないほどに特化された特殊能力を極める異能の人たちですが、彼らは郷土の誇りとして、同胞たちからの夢を託されて金メダルを目指すのです。

 この種の浮世離れした才能を育成する役目は、中世の頃には貴族が担っていました。音楽や絵画はもちろんのこと、科学者でさえ貴族お抱えの錬金術師を出自とします。今日では企業や学校、国家などが貴族の代わりに才能を育む育成機能を担うようになりました。選ばれた異能の持ち主たちとは、彼らを育んだ社会の指向性を映し出した鏡のような存在です。

 例えば、育成に長い時間と無駄にも思える予算を必要とするノーベル賞受賞者を輩出する社会とは、それを“美(い)し”とする社会風土が背景にあるわけであり、突然変異的に天才が出現するわけではありません。危険を承知でスピードを競うF1レーサーしかり、世界一のパン焼き職人もしかりです。さまざまな趣味の分野における代表選手たちの活動データをたくさん集めれば、彼らの出身国の性格もシルエットのように浮かび上がるということになります。