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定年を過ぎてもバリバリの人に…

イラスト:ニシハラダイタロウ
イラスト:ニシハラダイタロウ
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 よく聞く話に、若い研究者がわが国の大学制度にあきれ果て、サッサと欧米の大学に行ってしまうという、何とも寂しい話がある。

 優秀なのに若いというだけで、まずは助手から始め、講師、准教、教授という階段を上がらないと評価されないなんて、まさに能力を否定している「形骸序列」とも言える悪制ではないかと思うのだ。

 しかし、こんな馬鹿な話を、単純に能功序列にしたらどうなるか、想像してほしい。

 若くても優秀な研究者は研究チームを率いるために高い職位を与えられ、権限も予算も保証されれば、ノーベル賞の数が一桁増えるのではあるまいか。

 同じように、定年を過ぎてもバリバリの人に開発を任せたらいいだろう。一切、管理職的なことはしなくてよい環境を与えたら、それこそ開発に邁進し、多くの成果を出すだろう。

 よくある話だが、年齢が上だからというだけで管理職にするのは、まさに開発に向けるパワーを奪い、開発の意欲を削ぐことになっていると、私は思うのである。

 さあ、開発で成果を出すなら、完全な能功序列にしよう。年齢やキャリアは一切無視。唯々、その人の能力を評価し、その人にふさわしい待遇を保証するのである。そして、老若男女の別なく能功序列になったなら、間違いなくこの国は再生するだろう。誰にも能力はある。大事なことはその能力に応じた評価をすることである。

 断言してもいい。年功序列とは、能力を評価する目を削ぐ仕組みである。一億総活躍社会と言うならば、個々の能力を公平に評価する目を持たなければ、やっていけないのである。

 そして、個々の能力が評価され、できる人はしっかりと、そうでない人はそれなりにという社会になれば、自ずと国力は増大して社会保障にも余裕ができる。そうなれば、全ての国民が豊潤に過ごすことができるのである。

 えっ、私の会社は能功序列ではないかって? そうそう、そこ、それが問題なのだ。

 そもそも、私の会社の一番の年長者は82歳。次が私であることは知っているが、あと、秘書をはじめ、皆、年齢不詳なのである。

 いや、不詳ではなくて知ろうとも思わないのである。だから、年功も何もあったものではない。言わば、年齢不問制度なのである。(笑)

開発の鉄人”ことシステム・インテグレーション 代表取締役の多喜義彦氏は、これまでに3000件の開発テーマの支援に携わり、現在も40社以上の技術顧問などを務めている(システム・インテグレーションの詳細はこちら)。「リアル開発会議」では、多喜氏を指南役に、オープンイノベーション型の新事業開発プロジェクトを開始する(詳細はこちら)。