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東京大会で国産アンツーカが五輪デビュー

 1964(昭和39)年10月10日、紺碧の空の下に8万5000人の観客が見守る中、東京オリンピックの開会式が国立霞ヶ丘競技場で挙行され、その模様は通信衛星を経由し世界中にリアルタイムでカラー中継されました。このテレビジョン通信技術と、計測に初めてクオーツ時計を持ち込んだセイコーグループの技術、記録を生む新アンツーカ・トラックなどを指して、当時のマスコミは「技術のオリンピック」と報じたそうです。

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図1 1964年東京五輪開会式
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図1 1964年東京五輪開会式

 陸上競技の記録は、選手の技量や体調を走路のコンディションが支えて生まれるものですから、大会中の走路コンディションは常にベストでなければなりません。そのためには、競技で傷んだグラウンドの毎日のメンテナンス作業が鍵になります。

 日々、競技終了は22時以降で、そこからメンテナンス作業が始まります。トラックの全体を均(なら)し、傷んだ部分に固めやすくした補修用の舗装材であるアンツーカを充填して修復し、この上からダンプトラックで転圧します。負荷をかけたゴムタイヤが、アンツーカ粒子をグリップしながら締め上げるのです(図2、3、4)。

図2 夜を徹しての補修作業
図2 夜を徹しての補修作業
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図3 満載したトラックで転圧する
図3 満載したトラックで転圧する
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図4 細部は手作業で整備
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 夜を徹しての作業が終わると、前日の傷みが嘘だったかのように復元され、太陽の光が鏡面仕上げさながらの走路にきれいに反射するのを見て、人々はマジックと呼んだそうです。

(このページの写真:5枚とも奥アンツーカ提供)