「本質」とは、精神の内部に発生する「事物の像」の内、存在する事物に当てはまる「存在しない事物の像」、すなわち「観念」の一種である。そして、「観念」は、「存在しない事物の像」であるにも関わらず、我々が現実を把握する上で欠かせない、不思議と言えば不思議なものだ。今回は、その「観念」を掘り下げることを通して、「本質」をさらに掘り下げてみたい。
本質は概念でもある
既に述べたように、「観念」には「ある事物全てに共通して当てはまる認識」や「範囲」がある。その内、「ある事物全てに共通して当てはまる認識」は「普遍」であり、「普遍」には、「事物の普遍的な特徴」と、『「○○とは何か」という問いに対する答え』である「××という普遍的な特徴を持つもの」があり、これらは「本質」に他ならない。
しかし、実は「普遍」には、これら以外にもう1つだけある。「××という普遍的な特徴を持つもの」が当てはまる事物に当てはまる「○○」だ(ここで言う「○○」は、「名前」ではなく「認識」であることに注意)。
そして、「普遍」である「○○」は、一般的に「概念」と呼ばれるものである。「××という普遍的な特徴を持つもの」もそうだ。「事物の普遍的な特徴」も「概念」で表される。
例えば、「普遍」である「猫」(=全ての「猫」としての「猫」)は、一般的に「概念」と呼ばれるものである。「猫」と等しい『「猫の遺伝子」という普遍的な特徴を持つもの』もそうだ。「猫の普遍的な特徴」も「猫の遺伝子」という「概念」で表される。
そして、「普遍」である「○○」という「概念」を得るには、「××という普遍的な特徴を持つもの」という「概念」を得なければならない。また、「××という普遍的な特徴を持つもの」という「概念」を得るには、「××という普遍的な特徴」、すなわち「事物の普遍的な特徴」という「概念」を得なければならない。
つまり、「普遍」である「○○」、すなわち、全ての「ある事物」としての「ある事物」という「概念」を得るには、「ある事物」の「本質」という「概念」を見極めなければならないのである。