デザインは明るい生活の歌でなければならない

 先達たちとともに、戦争に傾斜しながらも表現の道を探った亀倉は、先ほど話したように戦後、公職追放に遭いました。その後、1949(昭和24)年に、あるエッセイを書きます。そのタイトルは「デザインは明るい生活の歌でなければならない」でした。

亀倉は、現代にも通じる「デザイン経営」の考え方を早くから説いていた。これが、戦後の亀倉の仕事でも表現されている。
亀倉は、現代にも通じる「デザイン経営」の考え方を早くから説いていた。これが、戦後の亀倉の仕事でも表現されている。
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 ここで亀倉は、「デザイナーは事業家に寄り添い、デザインをつくる際には常に経営者と一体になって仕事をしていかなくてはならない」という趣旨の話を書いています。この信念の下、戦後彼は、オリンピックのエンブレムをつくり、ニコンやリクルートといった企業のデザインを手掛けていくことになるのです。

後編に続く)