沖縄県で初のJリーグチームとなるべく2002年に創設されたFC琉球。2014年からJ3に参入して当初の目標は果たしたが、運営母体となる琉球フットボールクラブ株式会社は資金難が続き、2015年8月からの約1年半で3度の社長交代が起こるなど、順調とは言い難い道のりを歩んでいた。しかし2017年1月、sfidaブランドを展開するスポーツメーカー・イミオの代表を勤める倉林啓士郎氏が新社長に就任してからは経営の立て直しが進められ、それと共に成績も改善。2018年にはJ3で優勝し、J2昇格を成し遂げた。一時は存続も危ぶまれていたチームの驚くべき躍進は、どのような支えがあって果たされたのか。倉林氏に聞いた。(聞き手:上野直彦=スポーツジャーナリスト、久我智也)(取材日:2019年1月28日)
J2昇格の要因のひとつは「地元との関係構築」
倉林さんがFC琉球の社長に就任してから、わずか2年でJ3優勝、J2昇格を実現しました。躍進の理由はどんなところにあると考えでしょうか。
倉林 シンプルに、チーム成績については監督・選手たちの頑張りがあったからですが、加えて2017年にクラブ史上初のJ2ライセンスを取得できたことが大きかったと思います。ライセンスを取得できたことにより、2018年はスタートの段階から選手、スタッフがモチベーションを高く臨むことができましたし、補強面でもいい影響が出たことが、結果につながったと感じています。
2017年の就任記者会見では、倉林さんは「経営安定化」についてしきりに触れていました。言葉通り経営状況を改善できたことが成績にも結びついているということですが、具体的にはどのような取り組みをしてきたのでしょうか。
倉林 まず、経営改善についてはまだ道半ばです。しかし、経営面において、営業活動や広報活動など本来やらなければならないことを一歩一歩着実に進めて来たことが大きいと思います。私が就任当初はホームタウンの沖縄県や沖縄市などの自治体との良好な関係を築くことができていなかったのですが、しっかりと関係構築を行いました。「FC琉球は沖縄のためにある」ことを理解していただき、多大な応援をいただけるようになりました。同時に積極的に地元企業に対して営業活動を展開していき、スポンサー数も大きく増えました。それが1年目のことです。
ただ、J3優勝とJ2昇格を果たした2018年は、スポンサー数は前年よりも増加したもののフロントとしての経営改善では思っていた以上に苦労しました。2年目での赤字体質脱却を目指したものの、収益を予想以上に伸ばせず、チームは好成績を続けていたのですが、勝たせるために強化費がコスト増となりました。
J2ライセンス取得のプレッシャーも大きなものがありましたが、FCRマーケティング(倉林氏が代表を務めるFC琉球の筆頭株主)含め、株主からの1億円近い増資でなんとか乗り切ることができました。とは言え、当初1.2億円ほどの赤字を抱えていたのが2017年には約6000万円、2018年には約3000万円台にまで減らすことができましたし、2019年こそは黒字化できると考えています。
沖縄は独特の商習慣を持っているという話をよく耳にします。社長就任から2年が経ち、そういった“沖縄らしさ”を感じることはありますか。
倉林 沖縄はスポーツ熱が高い地域ですし、地元の方々も地元のチームを応援したいという気持ちを持っています。だからといって、スポーツに大金を投じるというよりも、みんなで少額のお金を出し合って、共に応援しようという文化の方が強いと感じています。もちろん我々としてはその額を少しでも上げていただくように価値を高めていく必要はありますが、J2に昇格したことで既存のスポンサーから頂く金額も増えてきていますし、それだけ応援してもいいクラブなのだと存在意義を認めてもらえて来ていると思っています。
実際、昇格を果たしたことで地元の方々もかなり喜んでくれていますし、FC琉球をきっかけにスポンサーと地元の方々との間でコミュニケーションも生まれているようで、我々としても嬉しく思っていますます。