重要になる「チェンジマネジメント」のプロセス

 『ビッグデータ・ベースボール』(トラヴィス・ソーチック著、角川書店)という本がある。米国4大メジャースポーツで最長となる20年間連続負け越しという不名誉な記録を作っていたMLB(Major League Baseball)の「ピッツバーグ・パイレーツ」が、2013年シーズンにいかにしてデータサイエンスの力を借りて生まれ変わり、プレーオフに3年連続進出するチームとなっていったかを紹介する、読み応えのある本だ(ちなみにこの本の中で大きな役割を果たすマイク・フィッツジェラルド氏がピッツバーグ・パイレーツのデータアナリストとなる時の面接は、2012年3月のSSACで行われた)。

 「ビッグデータ・ベースボール」では、ピッツバーグ・パイレーツが採用したデータに基づく内野手の極端なポジショニング、捕手がキャッチングによって際どいボールを審判にストライクと判定させるスキル(“ピッチフレーミング“と呼ぶ)の定量化、などが紹介されている。

 彼らは“ピッチフレーミング”に優れた捕手を、低打率にもかかわらず周囲が驚く高い年俸で獲得し、さらにこれまでの内野手のポジションとは大きく異なる場所に選手を守らせる。いずれも、野球界が長年にわたって積み上げてきた常識に反する判断だ。

 これにアレルギー反応を示した選手やコーチも少なからず存在した。パイレーツのクリント・ハードル監督は、この新しい考え方をチーム内に浸透させるために、2人のデータアナリストを常にチームに帯同させ、ミーティングに同席させた。新しい方法が優れている理由を繰り返し語り、疑問があれば常にアナリストに確認できるようにした。数値ではなくビジュアル化したグラフを用いて選手に意味を伝えた。

 「ビッグデータ・ベースボール」の最も読み応えのある部分は、ただ「理論的に正しい」というだけでは浸透しなかったであろう意識改革を、それらのコミュニケーションを通じて少しずつ成し遂げていく「チェンジマネジメント」のプロセスそのものにある。

 AIの活用プロセスにおいては、パイレーツのケースをはるかに超えるレベルでの“常識外”のレコメンデーションが、コーチや選手の前に提示されることになるだろう。だからこそ、チェンジマネジメントのプロセスは重要になる。

「Athletes’ buy-in」なくして成功なし

 もう一つ、SSACのセッションの中でよく聞かれた言葉で共有しておきたいのが”Athletes’ buy-in”(アスリートの理解や同意を得ること)である。どれだけ優れた理論であろうと、アスリートが心からそれを受け入れて本気で取り組もうと思ってくれなければ机上の空論に終わる、という文脈で使われていた。

 今後、スポーツの世界でさまざまなテクノロジーが使われていくにつれて、莫大な量のデータが取得されるようになる。その時、Athletes’ buy-inは不可欠になる。

 現状のスポーツ現場では、残念ながら「測定デバイスがあるので、とりあえずデータを取ろう。どう活用するかは取ってから考えよう」というレベルの意識で始めた結果、「たくさんのデータが取得できたのだけど、で・・・これを取って一体何になるんだっけ?」という事態に直面しているチームも少なくない。

 実際、あるスポーツのトップチームでは、ウエアラブルデバイスで選手のさまざまな生体データを測定する実験を行ったものの、続発するデバイスの不具合とフィードバック内容の不十分さに、選手サイドから「意味を感じられないので、これ以上実験台にするのはやめてほしい」という不満が寄せられて中止になったケースがある。

 こうした事態に陥っているようでは、Athletes’ buy-inを得ることなどはおぼつかないし、むしろ「データというのは単に面倒なだけで役に立たないものだ」というマイナスの学習成果を与えることにもつながりかねない。導入の初期段階から、取得したデータをどのように活用するか、目的を明確にしておかなければならない。

 そして、Athletes’ buy-inと同じ文脈で語られていたことが「ストーリーテリング」の重要性である。いかにしてデータを読み解き、本質を可視化して語り、必要なものをアスリートに伝えるか。

 AIを始めとする先端テクノロジーは、単体ではなく、こうした“ソフトスキル”と結びついた時、初めてスポーツ分野においても応用が進んでいくのであろう。

橋口寛(はしぐち・ひろし) 株式会社ユーフォリア代表取締役/慶應義塾大学大学院SDM研究科特任講師。米ダートマス大経営大学院修了(MBA)。アクセンチュア戦略グループ等を経て現職。スポーツ選手のコンディション管理システム「ONE TAP SPORTS」シリーズを、ラグビー日本代表をはじめとする多くのチームに展開している。