自営線は地下埋設に変更

 錦海塩田跡地の再開発に瀬戸内市が主体的に関わることになったのは、2010年に塩田跡地を取得したからだった。干拓事業を行った製塩会社は、競争力を失った天日採塩法による製塩事業から撤退、跡地を使った廃棄物処分事業に乗り出したものの、経営難が続いた。

 2009年に開発会社が倒産し、広大な未利用地が残された。しかし、干拓地は、いまでも常時、排水ポンプで海水を汲み出さないと陸地として維持できない。市による干拓地とポンプ施設の買い上げは、干拓地周辺の市民生活を守るため、苦渋の選択だった。

 荒地となっていた広大な干拓地の再開発では、ゴルフ場や空港など様々な構想が出ては消えた。そうしたなか、再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)がスタート。市は機敏にこの制度の可能性に着目してメガソーラー事業を決断、プロジェクトの骨格を固め、公募プロポーザルを経て事業者を選定した。

 武久市長は、こうした塩田跡地の買い取りからメガソーラーの完成まで主導してきた。「完成した今では、当たり前のように太陽光パネルが並んでいるが、ここに至るには多くの困難があった」と漏らす。そもそも塩田跡地には浸水リスクがあるうえ、堤防や排水ポンプの老朽化が進んでいた。塩性湿地などの自然保護や地域住民からの理解、産廃処分場として利用したエリアを事業に活用できるのか、16kmに及ぶ連系点まで架空自営線の敷設に8年以上かかると見込まれたことなど、具体的に検討するなかで次々と難題が浮上してきたという。

 当初は、もっと多くのパネルを並べる案もあったが、野鳥などに配慮して自然をより多く残す計画になったという。市長自らが住民説明会などに出席して丁寧に理解を求め、一方で岡山県などと交渉して産廃処分場跡地に公共工事からの残土を覆土してパネルの設置を可能にした。自営線の敷設に関しては、架空でなく地下埋設に変更することで、コストが上昇するものの工期は半分以下に短縮できることがわかった。こうして1つひとつ障害をクリアしていった(図7)。

図7●廃棄物処分場跡地へのパネル設置も可能になった。跡地には置き基礎を採用した。
図7●廃棄物処分場跡地へのパネル設置も可能になった。跡地には置き基礎を採用した。
(出所:日経BP)
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