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本記事はロボットとAI技術の専門誌『日経Robotics』のデジタル版です

 1957年、旧ソビエト連邦が世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功した時、米国は大きな衝撃を受けた。科学技術的な脅威が国防に多大な影響を及ぼし、国防と科学技術が表裏一体であることに初めて気付かされたのだ。逆に言えば、相手に対して技術的な脅威を作り出せれば、優位に立てる。

 こうした動機によって米国防総省の組織として1958年に創設されたのがDefense Advanced Research Projects Agency (DARPA)である。ミッションは最も先進的で将来性のある技術的なアイデアを見つけ出し、研究開発プロジェクトを通して国防上の新しい能力に変革していくことだ。

 今号から数回に分けて、DARPA Robotics Challenge(DRC)などDARPAが実施するプロジェクトがどのように運営され、なぜ効果的なのかなどについて、プロジェクトマネジャーやオフィスディレクターなどとの会話や交流を通じて私が感じたことや経験したことをベースに解説する。

ゴールは挑戦的だが荒唐無稽なものではない

 実はDARPAはこれまでに名称が数回変わっている。創設されたアイゼンハワー政権時にはARPA、1972年のニクソン政権時にはDARPA、1993年のクリントン政権時にはARPA、そして1996年のブッシュ政権時に再びDARPAに戻った。時代の様相に応じてD(Defense)を付けたり外したりという格好だ。

 DARPAプロジェクトの中で最も輝かしい成果は、現在のインターネットの基になった技術「ARPANET」であろう。コンピュータインタフェースや音声などの研究者として有名で、DARPA傘下のInformation Processing Techniques Office(IPTO:情報処理技術室)の初代ディレクターに就いたMIT教授のJ.C.R Licklider氏が、1963年に書いたメモ「Galactic Network」に端を発する。

 その後、IPTOの著名な4人のオフィスディレクターやプログラムマネジャーらによる13年間にわたるプロジェクトからARPANETが生まれた。4人のオフィスディレクターはオールスターとでも言うべき人たちで、例えばBob Taylor氏は米Xerox Palo Alto Research Center(PARC)を創設した人物としても知られている。

 この例のように、DARPAプロジェクトではディレクターを頂点にオフィスディレクター、プログラムマネジャーと続く布陣を敷く。そして将来的ではあるが、明確な目標(ゴール)を持つことが非常に重要だ。まずゴールを設定し、目標のタスクと目標に到達するまでの具体的なシナリオを詳細に作る。Plan Backwardという考え方で、ゴールに向かうには「こういうことができるようにならないとダメだ。それを実現するには、これとあれを組み合わせればできる」というように、ゴールから逆にプランする。「この技術を使えば、こんなこともあんなこともできる」という発散的な発想ではない。

 DARPAプロジェクトというと壮大なことに取り組むように思われるかもしれないが、私が見るところ、目標は挑戦的ではあるが荒唐無稽なものではない。確実に絶対ゴールできるというものでもないが、成功へ向けての明確なシナリオはある。つまり、プロジェクト全般にわたり、不確実は許すが、曖昧さは許さないのが特徴である。

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DARPAが主催して開催した災害対応ロボットの競技会「DARPA Robotics Challenge(DRC)」の様子
DARPAが主催して開催した災害対応ロボットの競技会「DARPA Robotics Challenge(DRC)」の様子
(写真:日経Robotics)

 例えば、目標として「高齢者が楽しく幸せに暮らせるようにしたい」というのは許されない。それは希望する結果であり、タスク・能力として具体的に何をすればいいのか分からない。そうではなく、「認知的な機能の衰えた高齢者が、こういうことができるようにする」というように、目標とする能力を具体的に規定する。DRCでも単に「次世代ロボット」を作ることが目標ではなかった。DARPAプロジェクトで成果が出た技術は文句なく世の中で役に立つものになるだろう。

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金出 武雄(かなで・たけお)
1945年生まれ。1974年京都大学電子工学科博士課程修了後、同大学助教授を経て1980年に米Carnegie Mellon University Robotics Instituteに移り、准教授などを経て現職。日本でも2001年に産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究センターを設立、2009年までセンター長(非常勤)を兼任。自動運転車や自律ヘリコプター、顔認識、仮想化現実などロボット工学・画像認識の世界的権威。