
2016年6月末、TDKの社長が10年ぶりに交代した。前任者の上釡健宏氏からバトンを受けたのは、記録メディアや磁気ヘッドなどの事業に長らく携わってきた石黒成直氏である。世界競争が激しさを増していく今後の電子部品業界でTDKをどのように導いていくのか、グローバルでの経験が豊富な石黒氏に戦略を聞いた。
──石黒さんがこれまでに積み重ねてこられた経験や実績、あるいは印象に残っているお仕事からお聞きします。
私は1982年にTDKに入社し、以降34年間お世話になっていますが、このうちの最初の22年間は、一世を風びしたカセットテープ事業に携わりました。かつてTDKの中核事業だった記録メディアの領域です。その後の12年間はヘッド事業を手掛け、ここ数年は、私たちが自分たちで始めたことですが、磁気センサーといった分野も中心的に見てきました。その一方で、現在のTDKの本流である電子部品や受動部品には、逆にタッチしてきませんでした。この34年間を別の切り口で見ると、17年間を海外、そして同じ17年間を日本で過ごしてきました。
海外で過ごした17年間のうち、1回目の赴任はメディアカセットテープの欧州の工場(ルクセンブルク)でした。この拠点は工場かつ記録メディアの欧州本部としての機能を持っていたところで、1990年から14年間ここで働きました。そして、日本に戻ることになった2004年の時点ではテープやメディアがTDKの中核事業ではなくなっていました。そうした時期に日本に戻ることになったものですから、前社長の上釜(現代表取締役会長の上釜健宏氏)から「じゃあ、ヘッド事業に来なさい」と言われて、拾ってもらった(笑)。
そこで、長野にあるヘッドのウエハー工場に配属になり、最初は企画管理と呼ばれる、技術と製造以外の部分を束ねるような仕事に携わり、その後はその工場全体を見るようになりました。その後、2012年からはTDKのヘッド事業全体、つまり日本のウエハー(前工程)工場だけでなくて、バックエンド(後工程)側を担う香港・中国のSAE社、フィリピンの会社、さらに米国のウエハー拠点であるHeadway Technologies社などのグループ企業を全て統括することになりました。これらを統括する段階で、日本にいても仕方ないと思いまして、そこで香港をベースにして、中国の工場や日本、フィリピン、そして米国などをハンドリングするようになりました。その関係上、2012年から2015年まで3年間、香港にいました。