『情識』(じょうしき)は「情報化に関する常識」という意味の造語である。独りで発信する媒体を作ろうと計画していた時、知り合いの経営者に媒体名として考えて頂いた。本欄の更新を2002年から2006年まで続け、それ以降中断していたが2015年1月から再開した。ITプロフェッショナル向けの本欄に加え、経営者向けに『経営の情識』という連載を日経ビジネスオンラインで続けている。なお、情識は実在する言葉で本来の意味は「強情、頑固」だという。
谷島の情識
目次
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盗聴で逮捕され有罪になった“独裁者”から学んだ二つの事
この3月、ある企業が消滅した。その企業の創業者は2003年12月、盗聴指示の疑いで逮捕され、翌年有罪判決を受けた。同氏の逮捕を受けて筆者が2003年に公開した二つの文章を読み直し、14年後に感じたことを書いてみた。
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心地よいが何も変えない「経営者がITに無知では会社が傾く」論
「ITを自分の経営課題ととらえて動こうとしない経営者がいる限り、情報化は絶対に進まない」。自分で書いたとはいえ空しい文章である。心地よく読めるが何も変えない。
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「日本人は世界のIT企業で出世しない」と自分の記事を読んで気付き、一瞬考え込んだ
グーグルやフェイスブック、アップルやマイクロソフト、オラクルやSAP、IBMやHPといったIT企業でCEO(最高経営責任者)に直接、業務報告している日本人は極めて少ない。
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デビュー直後に空前のヒットも5年で引退、悲劇の日立製品
長い年月をかけて売り上げを伸ばし続ける長寿製品がある一方、売り上げの急増と急減を短期間のうちに示す短命製品もある。最も劇的だった短命製品を紹介しよう。北米でデビューし空前の大ヒットを記録したものの5年で引退に追い込まれたコンピュータである。
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「ITのプロは日本で出世しない」と米国人から言われ、数日考え込んだ
「日本の大または中規模の組織でITのプロが役員の地位に登ることは極めて珍しい。こう私は強く感じている。あなたは同意するか」。米国の大学教授からこう質問されたが、即答できなかった。
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「SEサービスの品質は日本が世界最高だ」、富士通トップの発言を再考する
「サービスの品質は日本勢が世界最高だと確信している。我々ほどきめの細かいサービスを提供している国はほかにない。この品質をもっと強く世界へアピールしていきたい」。富士通トップのこの発言を再考してみたい。
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「分かっていない」のは経営者か、それともあなたか
「うちの経営者はITが分からない」。「顧客の経営者がITを分かっていないので」。こう語るITプロフェッショナルがいる。だが「うちのシステム部門やその協力会社は分かっていない」と語る経営者もいる。「分かっていない」のはどちらなのか。
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空想のAIを楽しみ、現実のAIの「威力偵察」を
1月末から2月初めにかけて日本経済新聞の一面に掲載された記事『AIと世界 気がつけばそこに』をお読みになっただろうか。連載中、筆者は朝一番に読み、毎回うなっていた。次のような記述が散見されたからだ。
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SEの教訓・業務を俯瞰し、「次」を考える
ある会議に出た時、先輩SEが会議室の壁一面にフリップチャート紙を貼り、そこにお客様の業務を黙々と書き出していった。昔はホワイトボードなど無く、紙に書いていたが、その先輩は一切書き直しをせず、すべての業務とその関連を30分程度で書き上げた。
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SEの教訓・我々は出入り業者だ
「顧客に迎合するようなことはしてはいけない」「我々は出入り業者だということを忘れるな」。先輩のSEからこう叱られたが納得できない。上司の課長に相談した。
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SEの教訓・新人の甘えは許されない
「SEとして一皮むけた」「SEとは何かが腹に落ちた」「仕事のやり方を変えられた」。こういう体験がSEを鍛える。ベテランにこうした体験について語ってもらった。
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良い事は習慣にならず良くない事は習慣になる
「何かを続けるための本」と分類できそうなビジネス書の広告が時折目に入る。同じ主題で手を替え品を替え出版されているのは物事の持続がそれだけ難しいからだろう。前向きな活動はなかなか続けられないし、好ましくない行動は止め続けられない。
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長年続く構造問題の深部に潜む「人」の問題
2003年に考えたことを再び考える
「情報の使い手と情報システムの作り手の間に断層ができる理由は、コミュニケーションのずれ、要件を整理する方法論の欠落、ベテラン引退によるスキルの空洞化、マネジメント不足などである」。2003年にこう書いた。一連の問題は解決していない。
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端末が1台も無い「意欲みなぎるソフトウエア開発工場」
『日本のソフトウエアはここまで来た』を読む・その3
間仕切りが無い、広い部屋に事務机が並び、そこに人がずらりと座り、何かを書いている。その様子を撮影した写真には「意欲みなぎるソフトウエア開発工場」という文字が添えてあった。だが机の上にディスプレイ端末もパソコンも一切無い。
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45年前、ソフトウエアは米国で商品になり、日本でおまけになった
『日本のソフトウエアはここまで来た』を読む・その2
「メーカー間の売り込み競争の結果、千差万別のユーザーの用途に応じて、電算機がうまく動くまで世話をするのが常識化した。ユーザー側の方でも『タダならトコトンまでつけ込む』動きが目立つ」。これは1969年に書かれた記事の一節である。
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stickyな仕事態度を続けられるか
「毎日楽しく読ませてもらっています。ネットは谷島向きのメディアかもしれませんね。ネットのコンテンツはstickyでないと受けないのでstickyな谷島との相性はいいと思いますよ」。先輩から送ってきたメールを読んで考え込んだ。
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円周率を「3」にしてしまう日本の教育と「技術リテラシー」
「技術を使用し、管理し、理解し、評価する能力」をすべての国民に身につけさせようという動きが米国であった。小中高校時代を振り返っていただきたい。そうした能力について習ったことがおありだろうか。
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「死ぬまで仕事を続ける」という冗談が冗談ではなくなった
12年前に書いた短文を読み返したところ「取材メモは半永久的にある。それを基に書いていくことは半分本気であるが死ぬまで続けられるだろう」という下りに気付いた。半分本気と書いているから半分は冗談であった。だが12年も経つと色々事情が変わるものである。
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12年前に書いた記事を検証する
2002年12月24日に公開し、その後、消してしまった記事を発見した。「筆者が10月から本格的に始めたインターネット上の執筆活動について総括してみたい」と書いていたので12年後、改めて検証してみた。
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1969年、丸ノ内に「ソフトウエアの工業地帯」があった
『日本のソフトウエアはここまで来た』を読む・その1
「東京・丸ノ内のビジネス街を『ソフトウエアの工業地帯』と呼ぶ」。ある記事の一節だが「ソフトウエアの工業地帯」という言葉も、それが丸ノ内を指していることも知らなかった。