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表●マイコンは三つのプロセッサの総称として利用
表●マイコンは三つのプロセッサの総称として利用
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写真1●4004とそれを搭載した電卓<BR>日本のビジコンが発注した電卓用のマイコンがi4004だった。i4004はインテル,電卓は嶋正利氏に写真を提供してもらった。
写真1●4004とそれを搭載した電卓<BR>日本のビジコンが発注した電卓用のマイコンがi4004だった。i4004はインテル,電卓は嶋正利氏に写真を提供してもらった。
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写真2●日本初のマイコンμCOM-4&lt;BR&gt;1973年に製品化した。製造プロセス技術は7.5 μm。2MHzで動いた。2500個のトランジスタを1チップに集積した。
写真2●日本初のマイコンμCOM-4<BR>1973年に製品化した。製造プロセス技術は7.5 μm。2MHzで動いた。2500個のトランジスタを1チップに集積した。
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図1●マイコンの変遷&lt;BR&gt;プログラマビリティ,テクノロジー,アーキテクチャの観点からマイコンの歴史を概観した。
図1●マイコンの変遷<BR>プログラマビリティ,テクノロジー,アーキテクチャの観点からマイコンの歴史を概観した。
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写真3●16ビット・マイクロプロセッサV20&lt;BR&gt;米Intel社の8088と互換のマイクロプロセッサ。内部構造は16ビットだが,外部バスは8ビット。
写真3●16ビット・マイクロプロセッサV20<BR>米Intel社の8088と互換のマイクロプロセッサ。内部構造は16ビットだが,外部バスは8ビット。
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写真4●32ビット・マイクロプロセッサV60&lt;BR&gt;1986年に製品化した。内部処理は32ビットだが,外部バスは16ビット。外部バスを32ビットにした製品がV70である。動作周波数は16~20MHz。製造プロセスは1.5μmルールのCMOS。37万5000個のトランジスタを1チップに集積した。チップ面積は13.92mm×13.80mmだった。
写真4●32ビット・マイクロプロセッサV60<BR>1986年に製品化した。内部処理は32ビットだが,外部バスは16ビット。外部バスを32ビットにした製品がV70である。動作周波数は16~20MHz。製造プロセスは1.5μmルールのCMOS。37万5000個のトランジスタを1チップに集積した。チップ面積は13.92mm×13.80mmだった。
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写真5●最新の製造プロセスを用いた組み込み用途の8ビット・マイコンKx2&lt;BR&gt;米粒と比べた。0.15μmルールのCMOSプロセスを使う。μCOM78Kシリースと互換性のある8ビットCPUコアのほか,発振器やリセット回路などを内蔵する。
写真5●最新の製造プロセスを用いた組み込み用途の8ビット・マイコンKx2<BR>米粒と比べた。0.15μmルールのCMOSプロセスを使う。μCOM78Kシリースと互換性のある8ビットCPUコアのほか,発振器やリセット回路などを内蔵する。
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 マイコンの設計思想の変遷は,ビジネスや生活の質的変化と軌を一にしている。設計には三つのポイントがある。プログラマビリティとアーキテクチャ,テクノロジーだ。これらをバランスよく取り入れてこそ,優れたマイコンが生まれる。三つのポイントに視座を置いてマイコンの発展史を振り返る。

 ほぼ四半世紀にわたって,マイコンの開発を手がけてきた(マイコンの定義は後述)。さすがに今は設計図を引くことはないが,現場に立っていることに変わりはない。約25年間,技術者としてワクワクする体験の連続である。半導体技術の進歩にあわせてマイコンの機能と性能は急速に向上したが,その現場に居合わせたからだ。もちろん,筆者自身もトレンドに乗り遅れないように設計・開発を行ってきた。筆者にとってのマイコンは,技術のチャレンジの場であり,また顧客とのコミュニケーション手段だった。

 筆者がマイコンの設計・開発を手がけ始めた当時,応用分野は限られていた。身近なものとしては,電卓やキャッシュ・レジスタ,プリンタといった程度だった。それが今日では,どの家庭でも数十個のマイコンが使われている。マイコンの入っていない家電製品を探すのが難しいくらいである。

 例えばエアコンやテレビ,VTR,DVDレコーダ,CDプレーヤ,それらを操作するリモコン。さらにデジタルカメラ,ハンディカム,電子ピアノ,炊飯器,ポット,インターホン,電波時計。居間をざっと見わたしてもこのような機器があり,それぞれにマイコンが組み込まれている。もちろん,モデム,無線LAN,パソコン,ハードディスク・ドライブ(HDD),PDAといった情報機器はマイコンを内蔵するし,自動車も電子化が急速に進んでいる。自動車の場合,上級車が使うマイコンの数は3ケタに達する。

 応用分野の拡大に合わせ,あるいは拡大を図るために,マイコンの構造は大きく変貌した。例えばデータの処理単位は,4ビットから8ビット,16ビット,32ビット,さらに64ビットへと拡大している(ビットについては後述)。内部の構造は,メインフレームやスーパーコンピュータのプロセッサの仕組みを貪欲に取り込んできた。マイコンの設計思想の変遷は,我々のビジネスや生活の質的変化と軌を一にしているといえる。本稿では,こうしたマイコンの設計思想について,筆者が思うところを紹介したい。今回は,マイコンの発展史を筆者なりの視点で振り返る。

MPU,MCU,そしてシステムLSI

 マイコンの発展史を見る前に,まず言葉の整理をしておく。マイコンという場合,ここでは大きく三つのプロセッサを総称して使う。機器の制御を担う製品群「マイクロコントローラ」,パソコンなどに使われるようなコンピュータ機能が中心となっている製品群「マイクロプロセッサ」,そして携帯電話やデジタル家電に必要な機能を1チップにまとめた製品群「システムLSI*1」である([拡大表示])。

 マイクロコントローラであれマイクロプロセッサ,システムLSIであれ,プログラムがメモリーで動き,コンピュータとして作動している点では変わらない。ただし,処理するプログラムの容量が3ケタほど違う。そのことが,メモリーの持ち方の差となって表れる。

 マイクロコントローラは,組み込み用途の専用プロセッサと位置づけられる。目的は特定の制御なので,プログラム・サイズはせいぜい数百Kバイトに過ぎない。チップに内蔵できる程度の容量である。それに対しマイクロプロセッサとシステムLSIは数十Mバイトから数百Mバイト(場合によってはGバイトのオーダー)のプログラム/データを対象にする。内蔵はできないので,外付けの汎用DRAMを使うことになる。

 マイコンの分類には,前述のように「ビット数」を使う方法もある。例えば8ビット・マイコン,32ビット・マイコンという言い方である。マイコンをビット数で呼ぶとき,それは内部の演算器のビット幅を表す。例えば4ビット・マイコンなら,演算器は4ビットを同時に処理できる回路になっている。これはBCD(Binary Coded Decimal)形式*2による10進演算を主に考えた電卓時代の名残りである。ちなみにマイクロコントローラには,4ビットから32ビットのチップが存在する。価格レンジは,数十円から数千円までと広い。

マイコンを特徴づける三つのポイント

 マイコンの誕生は1971年のことである。米Intel社が11月15日に,i4004という4ビット製品を発表した。日本のビジコンが発注した電卓用マイコンだった(写真1[拡大表示])。製造プロセスは10μmで,3×4mm2のチップに2300個のトランジスタを集積していた。108kHzで動作した*3。ここで,電卓というアプリケーションが世界初のマイコンのアーキテクチャを決定付けたことに注目してもらいたい。また,i4004の開発には嶋正利氏が発注元のエンジニアとして加わり,中心的な役割を果たしたことはよく知られている。マイコンの発明者の一人が日本人であることは,大いに誇るべきである。

 日本でも当時,マイコンの開発は行われていた。例えばNECは,μCOM-4という4ビット・マイコンを日本で初めて製品化した(写真2[拡大表示])。i4004に2年遅れの1973年のことだった。電卓やキャッシュ・レジスタといった用途で使われることが多かった。7.5μmルールのnMOSプロセス技術で製造した。動作周波数は2MHzだった。

 実は,このμCOM-4のユーザーズ・マニュアルと解説記事に,筆者が考えるマイコンの三つのエッセンスがすべて盛り込まれている。少し長くなるが引用する。約30年前という時代を感じさせる仕様も含め,ぜひ読んでいただきたい。

 マイクロコンピュータではシステム設計,論理設計,実装等のハードウェアとして必要な部分がすべてソフトウェアに置き換えられているので,マイクロコンピュータ用のLSIを購入しソフトウェアを付加するだけで,設計変更が簡単にでき,納期,価格の面でも有利になることがわかってきた。マイクロコンピュータに対する評価が高まり,電子機器全般に利用しようという機運が出てきたのである

(松村富広,『マイクロコンピュータ』,エレクトロニクスダイジェスト社,1975年)

 μCOM-4は世界で最初のnチャネルMOSテクノロジーを用いたマイクロコンピュータである。(中略)1チップCPUと256BのROM,1KビットRAM,4ビットのI/Oポートの4チップが基本構成である。プログラムストア(ROM)とデータメモリ(RAM)とがハードウェア上分類されていること,マルチバス方式を採用していること,1命令ごとに実行・停止ができる等,アーキテクチャ上も当時としては非常にユニークなものであった

(堺満雄,「日電・μOCM-4」,『マイクロコンピュータ・アーキテクチャ集,電子科学臨時増刊』,1978年6月)

 どこにエッセンスが隠されているのか。

 第1に,マイコンを使うメリットとして,「ソフトウェアで機能を実現,変更できる」点を挙げているところである。アプリケーションへの適応性の高さと言い換えることができる。当たり前のように思えるが,当時,プログラマブル化による開発期間の短縮は大きなメリットだった。ハードウェアで一から作ったり,仕様の変更をハードウェアに反映する手間と時間を考えると,ソフトウェアで機能を実現するメリットは計り知れない。もちろん,このメリットは現在でも変わらない。

 第2は,テクノロジーという言葉が出てくることである。マイコンは半導体技術の進歩に支えられ発展してきた。Intelの創設者であるゴードン・ムーア氏が提唱した「ムーアの法則*4」にしたがって集積度を高め,機能と性能の向上を果たした。それが現在の興隆につながったのはいうまでもない。同時に技術者の立場で見れば,それぞれの世代の半導体技術における制約のもとで,少しでも他社より優れた製品を作るという競争がなされてきたのである。

 第3はアーキテクチャという言葉だ。ここでは,性能向上の手段,システム構成の手段,ソフトウェア・デバッグの手段をまとめてアーキテクチャと呼んでいる。システムとしての設計思想が,コンピュータとしてのそれにとどまっていない。システムの構築方法,ソフトウェア開発環境のサポート方法にまで言及している。コンピューティングだけではなく,組み込み用途にもフォーカスを当てた総合的な考え方が,30年前に登場している点は注目に値する。

 つまりマイコンの特徴は,プログラマビリティ(アプリケーションへの適応性),テクノロジー,アーキテクチャの三つに集約できると,筆者は考えている。以下ではこの考え方に沿って,マイコン開発の歴史を紐解いていく(図1[拡大表示])。

70年代
それは計算から始まった

 1970年代は,マイコンが誕生しただけではなく,その基本的な構成が確立した時代だった。先ほどの三つの特徴で考えれば,プログラマビリティ(アプリケーション),テクノロジー,アーキテクチャのいずれの面でも,初期の混沌としたなかから,進むべき方向性が徐々に見え始めた10年といえよう。

 前述のように,世界最初のマイコンであるi4004は電卓に向けたチップだった。つまり,電卓やキャッシュ・レジスタのような「計算」を高速に行うものとして産声をあげた。最初のアプリケーションは計算だったのだ。テクノロジーの制約から複雑なものは作れなかったので,i4004やμCOM-4は4~5チップでコンピュータ機能を実現した。コンピュータ機能に4~5チップが必要だったものの,小型化・軽量化の面でのメリットは際立っていた。当時のベストセラーのミニコンは米DEC(Digital Equipment Corp.)のPDP-11だったが,TTLを使った数枚のプリント基板でシステムを構成していた。これに比べると,計算機能を電卓レベルにまで小型化することを可能にした意味は大きい。

 i4004を市場に投入したIntelはその後,i8008(1972年),i8080(1974年),i8086(1978年)を次々に発表した。i8008とi8080が8ビット,i8086が16ビットのマイクロプロセッサである。こうして約10年をかけて,マイコンの基本的な構成が確立した。

 この時期で忘れてならないのは,米Motorola社(現在の米Freescale Semiconductor社)の8ビット・マイクロプロセッサMC6502と,このチップを使った米Apple社のApple IIである。1977年にデビューしたApple IIによって,パーソナルなコンピューティングという概念が広まった。パソコンが1980年代に入って本格普及するさきがけとなった。

 このほか半導体各社から,プロセッサとメモリー,I/Oなどを1チップに集積したシングルチップ・マイコン(1チップマイコン)が発表され始めたのが70年代の後半である。OA機器や制御機器,産業機器,民生機器といった用途で幅広く使われるようになった。

80年代前半
コンピュータの香り放つ

 80年代前半は,マイコンが大きく成長する土台が作られた時期だった。アプリケーションの幅もぐんと広がった。

 この時期の特徴は,プログラマビリティ,テクノロジー,アーキテクチャというマイコン3要素が大きく進展したことにある。プログラマビリティの面では,リアルタイムOS,高級言語プログラミングといったものが,マイコンに取り入れられ始めたことが挙げられる。これで幅広いアプリケーションへの対応力がぐんと高まった。テクノロジーではCMOS技術を使えるようになり,高性能でありながら低消費電力を実現できるようになったことが大きい。NECの製品を例にとると,V20/V30というCMOSの16ビット・マイクロプロセッサでは,nMOSの前世代品に比べ高性能でありながら,消費電力は数分の1だった(写真3[拡大表示])。

 アーキテクチャ面では,コンピュータ的なフレーバーを持ち始めた。16ビット・マイコンが当たり前のように開発され,それまでのマイクロプログラム制御回路のような匂いのするものから,機能的にも内部構造的にもコンピュータらしくなった。例えばシステム構成を見ても,複数のバスマスタを制御するのが当たり前になり,DMAコントローラやI/Oプロセッサを用いた機能分散が可能になった。

 コンピュータ的なフレーバーを決定的にしたのが,二つのパソコンである。

 一つは1981年に発表されたIBM PC。16ビット・マイクロプロセッサi8088を搭載したこのマシンのBIOSを,IBMが公開したことなどによって数多くの互換機を生んだ。もう一つのエポックは,1984年のAppleのMacintosh発表である*5。Macintoshは,先進的なパーソナル・コンピューティングはどういうものかを世界に広めることになった。このマシンには,Motorolaの16ビット・マイクロプロセッサMC68000が使われていた。

 シングルチップ・マイコンが商業的に大きく伸びるとともに,マイコン産業の基盤が出来上がったのもこの時期である。その意味で,ターニングポイントだったともいえる。ここでシングルチップ・マイコンとは,ROM,RAM,タイマー,シリアル通信,A/Dコンバータを1チップに集積したプロセッサを意味する。ユーザーが必要とするほとんどの機能が,一つのチップに内蔵されたのである。

国内産業の成長がマイコンを後押し

シングルチップ・マイコンが興隆した背景には,テクノロジーの進展とそれを活用する国内産業の成長がある。

 テクノロジー面では二つのポイントがある。一つは,先に述べたCMOS製造技術による低消費電力化。1チップに多くの機能を詰め込んでも,発熱の問題を心配する必要がなくなった。もう一つは,設計技術の発展である。マクロと呼ばれるモジュールを組み合わせて設計する手法が確立した。あらかじめ必要となるコンポーネントを設計しておき,その組み合わせによる製品展開が可能になった。メモリー・サイズやI/Oポートの本数,機能の有無によって,適切な価格の製品が設計できるようになったのである。

 マイコン市場の伸びを支えたのは,間違いなく国内産業の成長である。いくら多くのマイコンを製造できても使われなければ意味をなさないし,製品に対する要求やフィードバックがあって初めてマイコン産業は成長する。国内という身近なところに厳しいユーザーが存在したからこそ,マイコンを含めた部品産業は鍛えられた。

 この時期,アプリケーションとしてはオーディオ機器やビデオ機器の市場が成長し,輸出も大きく伸びた。なかでもVTRは,高度なメカ機構の制御を必要とし,その制御にマイコンが重要な役割を果たした。例えばオートローディングやフェザータッチ・スイッチなどの制御が挙げられる。これらの制御を実行するのに適切な機能を搭載するように,シングルチップ・マイコンは設計された。