「金を張った、人の囲い込みが復活した」「メガバンクや地方金融、クレジットで大型案件が交錯し、技術者を奪い合っている」。
業績を急回復させ、投資再開に動いた金融機関向けのIT商談で、いま起きている現実だ。ITサービス業界にとって技術者不足は深刻だが、デフレが続いたSE料金を反転させる好機にもなる。「交渉の主導権は我々に移った」「常態化していた残業代の未払いは、きっちり適正化してもらう」と、元請け企業の意気は上がる。そこに立ちはだかるのが、長年の取引と発注量の大きさをタテに値上げを渋る顧客の論理だ。
国内IT投資の2割を占める金融業での商談は、国内のITサービスの受注動向全体をも左右する。事業再生にかけたITサービス業界の奮闘を、金融セクターから報告する。
「生意気に聞こえるが、選別受注もやむを得ない」―。
顧客からの引き合いの強さに、コアの井手祥司社長は今、決断を迫られている。コアの元には、昨年後半からメガバンクや地方銀行、クレジットカード業界からSI案件への参画を求める要望が殺到。しかし、井手社長は「顧客が求める技術者数の3分の2しか供給できそうにない」と打ち明ける。
投資を急回復させた金融業界が、久々に巨大なIT技術者需要を生み出している。顧客企業が、SEを囲い込む動きも始まった。
「顧客が特定のSEを指名し、プロジェクト期間の前の段階から料金を支払って拘束する取引が復活してきた」。あるソリューションプロバイダの担当部長はこう証言する。他社にSEを奪われないための、いわゆる「期間契約」だ。
人の需給が引き締まったことで「SE料金のデフレ傾向は止まった」と関係者は口をそろえる。
2006年度に向けたSE料金の交渉は、今が佳境だ。これまでの値下がり分をばん回するべく、ソリューションプロバイダの交渉にも、がぜん力が入る。「今までの不況時には、時間外労働の扱いが不明朗なまま、受注を取っていたケースがあった。今回の交渉では、残業料金の適正な支払いを強く求めていく」。ある元請け企業の営業担当者はこう力を込める。
国内IT投資の2割を支える
全産業の中で、金融セクターのIT投資の回復ぶりはずぬけている。日本銀行が短観で公表している「ソフトウエア投資額」によると、金融機関の対前年度伸び率は27.8%と、全産業の7.6%を大きく上回る。ITサービス業界の実感では「昨年秋から、引き合いが旺盛になった」という。
中でも、2003年ころから投資回復を先導した証券業界の投資額は、2005年度計画で46.6%増と群を抜く。「日経平均株価が1万2000円を超えたあたりから、IT投資が急増した」(SRAフィナンシャルシステムズ&ネットワークサービスカンパニーの近藤正太バイスプレジデント)上に、個人投資家がネット取引にシフトした流れが加わり、基幹業務システムに要求する機能、性能が桁違いに大きくなったからだ。
銀行では、収益を回復した各行が、営業店舗システムや証券業務システムなど、新規分野への投資を拡大。その引き合いが活気づく中に割って入るのが、三菱東京UFJ銀行による勘定系システムの完全統合作業である。
日立製作所のメインフレームで稼働していた旧UFJ銀行の勘定系システムを、旧東京三菱銀行が採用する日本IBM製のメインフレームに片寄せする統合作業は、2008年末まで3年にわたる大型案件。要する開発工数は、十数万人月に及ぶともいわれる。
銀行の勘定系システムについては、技術者の需要をひっ迫させている別の要因がある。金融庁が昨年10月に、銀行への検査や合併の認可に当たって、勘定系システムの信頼性を徹底して重視する方針を打ち出したのだ(別掲記事参照)。結果として統合作業の工数が膨れ上がり、これが三菱東京UFJ銀行が勘定系システムの完全統合時期を延期した背景になったと、多くの関係者が指摘する。
クレジット業界も「UFJニコスやユーシーカードなど、基幹業務系システムの大型案件が控えている」(TIS金融事業部長の守屋元雅取締役)状況だ。
金融業界は国内の全IT投資の2割を占め、ITサービス業界に対して最も大きな影響力を持つセクターだ。製造業などと比較すると顧客の数は限られるが、売上高に対するIT投資額の割合が平均6%と段違いに大きい点が特徴だ。必然的に商談の規模は大きくなり、1つのプロジェクトには元請けから下請けまで多くのソリューションプロバイダがかかわる。他の産業より、メーカーが元請けになる案件が多いのも金融セクターの特徴だ。
頭を抑えられたSE料金
こうした状況を受け金融向けSI事業では、SEの需給のひっ迫感が高まってきた。特に足りない人材は「プログラム開発工程のスタッフよりも、金融の業務知識を持って、要件抽出や仕様確定ができる上級SE」(日本ユニシスの松森正憲常務執行役員)である。顧客が、個人を指名して確保に動くのもこうした人材だ。顧客からの指名は値上げの交渉材料になるし、「SE料金を据え置くなら、より好条件の仕事を選別する」という判断で業界が動けば、SE料金の相場は実際に上昇に転じるはずだ。
しかし、一部ソリューションプロバイダの期待や意気込みとは裏腹に、SE料金の値上げ交渉は厳しい状況にあるようだ。元請けの中で、受注額が大きく相場への影響力を持つ富士通やNECといった大手メーカーが「総体として値上げはないだろう」と、値上げの実現に、半ばさじを投げているのだ。
富士通の金融ソリューション企画部の若林毅部長は、「顧客とはずっと交渉しているし、特定のプロジェクトや、一部の上級SEなどで、値上げを実現できる公算はある。しかし全体の相場は横ばいで推移しそうだ」と話す。
需給がひっ迫しているにもかかわらず、料金相場に大きな変化が起きない理由として、関係者は「特に金融大手は、案件を通じて、ITサービス業界に業務ノウハウを学ばせているという自負がある」(NECの第一金融システム事業部の宮島明事業部長)とか、「顧客企業の内部で、価格交渉を仕事にする購買部門ばかりが幅を効かせている」(あるSEサービス会社の社長)とかいった理由を挙げる。