その気になれば,自分の腕一本で食べていける──。こう考える読者の方は少なくないだろう。実際,個人のスキルがものを言うIT業界では,他業界にも増して,独立してフリーランスになったり,起業したりするケースが多い。

 ただし独立起業しても,理想とのギャップに挫折するITエンジニアは少なくない。そこには,会社員としてキャリアを積むのとは全く異質の世界があり,多くの人がつまずく「壁」や「落とし穴」が待ち受ける。

 それを解説する前に,まずは28歳のときに独立起業したITエンジニアのケースを2つ紹介しよう。1つは,起業して請負型の開発で規模拡大を図ったが限界に達し,事業計画を練り直し再起に成功したケース。もう1つは,知人の助言などを基に周到に準備してフリーランスになったものの,何度もトラブルに見舞われたケースである。どちらも今は起業家,フリーランスとして成功しているが,会社員にはない幾多の苦労を積み重ねてきた。

(中山 秀夫)

 会計システムのASP(Application Service Provider)として月額3150円からという低料金を武器に,2000年の創業から既に中小企業4万社の顧客を獲得したビジネスオンライン注1)。創業者で代表取締役社長を務めるのが,藤井博之氏(42歳)である。

 「2年前から売上高を毎年1億円前後伸ばしており,成長軌道に乗った」と,藤井氏は胸を張る。2006年3月期の決算は,売上高が5億円(前年同期比1億5000万円増),経常利益が3000万円(同1000万円増)の見通し。「来年度は売上高を8億円に伸ばし,2007年秋にも上場を目指す」と,藤井氏の鼻息は荒い。

 しかし,ここまでの道のりは平坦ではなかった。派遣型,請負,プロダクト開発という多くのITベンチャー企業が歩む典型的なビジネスモデルの変遷のなかで,資金繰りなど大きな「壁」に突き当たり,それを乗り越えてきた。苦難の歴史は,藤井氏がビジネスオンラインを立ち上げる前に,最初の会社を興した15年前にさかのぼる。

派遣型のビジネスから始める

 藤井氏は大学を卒業後,ソフト会社に就職。1年あまりプログラマとして経験を積み,1990年に退社して新会社ウェルズを設立した。資本金には,自分の貯金と親類からの借金を合わせた500万円を充てた。

 拙速な起業にも思えるが,藤井氏は「もともと起業志向が強く,就職前から考えていた」という。それだけに起業までの間,「ソフト会社で懸命にスキルの習得に努めた」(藤井氏)。

 起業したとはいえ,経営者として確固たるビジョンがあったわけではない。「もうけて会社を大きくすることしか考えていなかった」(同)。それでも,すぐに仕事は見つかった。前職のときに担当した仕事の発注元だった大手システム・インテグレータが,藤井氏を見込んで仕事を回してくれたからだ。藤井氏自らその大手システム・インテグレータに常駐して,設計やプログラミングを行った。

 安定して仕事が入ったため,前職の人脈を通じて,社員を徐々に増やしていった。人材を育てる余裕はないから,狙いは即戦力の人材である。「給与で報いることを条件に,1人ずつ口説いた」(藤井氏)。採用した人材は,顧客のもとに派遣していった。

 “派遣型”のビジネスなので,資金繰りも問題がなかった。「初期投資はわずかだったし,毎月発生する人件費などには,月末に入る顧客からの支払いを充てれば済んだ」(同)。

請負型へ軸足を移す

 社員が6~7人に増えた1992年ごろ,経営者として最初の壁にぶつかった。「客先常駐の仕事を続けるばかりでは,ウェルズの社員である実感を持てない」──。こんな声が社員から聞かれるようになり,補充採用が追い付かないペースで社員が辞めていくようになった。

 派遣型のビジネスが一般に抱える問題でもあるが,藤井氏は限界を感じて,請負型のソフト開発業務に軸足を移していった。「1つのオフィスに社員が集まってシステムを作り上げることで,会社への帰属意識が高まる」と考えたのだ。

 帰属意識を高めるため,規模の大きいやりがいのある開発案件を得ることにも努めた。それには会社の規模を大きくする必要があった。幸い,それまでの実績と人脈から営業は順調だったため,急ピッチで社員を増やしていった。

 こうしてウェルズは成長軌道に乗り,「業績は順風満帆だった」(藤井氏)。しかし,別の問題が少しずつ顕在化していた。資金繰りの悪化である。「資金が不足しがちだったため,公的な助成制度を使って借り入れを増やしていた」(同)。

 どうして,黒字なのに資金が不足するのか。そのからくりはこうだ。人件費やオフィス賃料などの費用として,毎月末に現金が出ていく。しかし請け負った案件の支払いを顧客から得るまでには,1~数カ月のタイムラグが発生する。当時のウェルズでは,社員が契約社員も含めて40人に増えていたため,給与だけでも多額の現金が必要だった。

 そんな状態の1997年ごろ,1000万円を超える赤字に終わった請負案件が相次いだ。これで一気に,資金繰りが苦しくなった。藤井氏は金策に走り回ったが,借り入れはままならない。給与の支払いが滞ったこともあり,社員が次々と会社を去っていった。優秀なリーダーが率いる8人の開発部隊がこぞって退職し,得意先を失うことまであったという。

プライドを捨ててやり直す

 窮地に立たされた藤井氏は,1998年に新たな打開策を試みた。自社で使っていた独自の開発ツールを手直しし外販したのだ。プロダクト開発というビジネスモデルへの転換を探ったわけである。しかし,結果は惨敗だった。「売れるどころか,代理店を見つけることすら適わなかった」(藤井氏)。

 それでも藤井氏は,会社を再び成長軌道に乗せることを諦めなかった。経営者としての未熟さを痛感した藤井氏は,プライドを捨てて起業家向けセミナーに通った。これが奏功し,「独学よりもよほど効率的かつ体系的に経営者の知識とスキルを身に付けられ,人脈も広がった」(同)。

 そのセミナーで考えついたのが,中小企業を対象にした会計システムのASP事業だった。その事業計画は,起業家セミナーを主宰する大前研一氏を唸らせるほどだったという。

 折しも,ITバブルが崩壊した2000年だったが,藤井氏はこの事業計画によって,ベンチャーキャピタルや大前研一氏から総額で約1億5000万円の資金を引き出すことに成功した。

 並行して,人材集めにも奔走した。ASPのシステム開発や営業には,新しい人材が必要と判断したからだ。このとき掲げたのが,「日本経済を支える中小企業のIT化を支援する」というビジョンだった。「ビジョンに共感して,優秀な人材が加わってくれた」(藤井氏)。その6人と興した新会社が,ビジネスオンラインである。

 新会社を興したのは,「当時のウェルズは財務状況がよくなかったうえに,大手システム・インテグレータの下請けというイメージが定着していたため」(藤井氏)という。ウェルズは派遣型と小規模な請負型のビジネスに戻し,採算が合うように縮小均衡を図っていった。

 資金を得たビジネスオンラインで,藤井氏はシステムを開発し,積極的な営業を展開した。当初は泣かず飛ばずだったが,粘り強い営業が実を結んだ。2003年に全国商工会連合会が,各商工会が手掛ける会員企業向け事業に,ビジネスオンラインのASPシステムを全面導入したいと申し入れてきたのだ。現在は全商工会の約4分の1に導入を終えており,今後約2年で全国展開を終える見通しだ。

 藤井氏はこう語る。「商工会という大口顧客を得られたのは幸運だったが,順調に業績を伸ばせているのは,経営者として成長できたからだと思う。これまで薄氷を踏む思いを何度も経験したことが,経営者としての糧になっている」。