「正直いって、ライバルの関西ペイントさんには大きく差をつけられた。何とか追いつこうと会社を変える活動にチャレンジしてます」。先日、こう語る日本ペイントの松浦誠社長に取材した。
日本ペイントと関西ペイント。どちらも連結売上高は2000億円前後で資本金や総資産額もほぼ似たり寄ったり。この数字だけを見ると、なぜトップがそう自社を卑下して語るのだろうかといぶからずにいられない。
だが利益の項目などを見ていくと、松浦社長の危機感もうなずけるところがある。日本ペイントの前期の営業利益は前年度比3.7%増の101億円に対して、関西ペイントは前年度比7.8%増の189億円。営業キャッシュフローも2005年3月期は日本ペイントのほうが勝っていたのに、2006年3月期に追い抜かれた。しかも、関西ペイントは活発に設備投資を行いながら業績を伸ばしており、勢いの差は見かけ以上に大きい。現状の勢いのままでいくと、年を追って差が開きかねない。
松浦社長は2005年7月に社長就任。自動車塗料の事業本部長を務め、塗料メーカーにとって最大市場の自動車向け分野で「関西ペイントに巻き返したい」という思い半ばでの社長就任だったという。
だが、「私は庶民派社長」と語るように、技術畑出身の素朴かつ淡々と語る人柄でもある。趣味は山野散策と絵画だという。
その松浦社長は昨年6月、取締役会で社長就任が決まった日に社員全員にすぐ電子メールを出した。そのなかで、「2位チームの猛烈な追い上げにあい、しばらく首位を併走した後、ここになって、スパートをかけられ、逆にかなり差をつけられた状態にある」と、はっきりとライバルである関西ペイントとの現状認識を書いた。
そして、「スポーツにおいてもっとも重要な要素は、『勝ちたい』という思いであるといわれています…」と、まず「思いの強さ」の大切さを説いた。
松浦社長にはマネジャーとして風土を変えようとした原体験がある。それは1990年代のロンドン拠点への赴任時のこと。当時、駐車場はハンバーガーの容器などが散らかり客を招くのも恥ずかしいと感じるほどの荒れようだったという。
そこで当時の松浦社長は黙々と行動した。一人、朝早く早出して袋を持ちゴミ拾いをし続けた。すると、「このごろ駐車場がきれいになった」「早出したらマツウラがやっていた」という話が広まって、現地のイギリス人従業員もゴミを拾い始めた。「あの時に、一体感は日本人固有のものではない、上に立つ人の情熱ありきなんだと確信したんです。私には、分かりやすい言葉で巧みに人を動かした日産自動車のカルロス・ゴーンさんのまねはできません。ですが、自分なりのやり方で、会社の行く末を思い、後輩の幸せを願う思いを繰り返し伝えていこうと思うのです。それをこれから役員の人たちにも実践してもらいたいと思っています」(松浦社長)
一方で、松浦社長は今、逆説的に「気楽さ」も役員に説いている。「大事なことを気楽に言い合う会議をしなさい」とオフサイトミーティングを奨励して、昨年12月のクリスマスの日にも、「過去の古傷は問わない」というルールで役員同士のミーティングを開かせた。「誰が主犯なのかという意識が強すぎると、『当社はこの技術が弱いから勝てずにいる。どうしたらいいか』といった議論さえしなくなってしまう。話し合いをしても重苦しくてつらい気持ちばかりになり、結局、課題解決を考える当事者が誰もいなくなるんです」(松浦社長)
松浦社長が最終的に役員や現場に求めるのは、会社の課題に対する「関心の強さ」と「何とかしようという気持ち」だ。しかし「罪を憎んで人を憎まず」の精神をまず持とうというわけである。真剣な取り組みを望む一方で、気楽さも説く、この逆説的な着想は、「人はどうすれば動いてくれるか」を悩みぬいたからこその結論でもあるのだろう。
そして松浦社長は「人間力」や「団結」などをテーマに毎月、社員に向けてメールを書き続けている。もちろん書いたからといってすぐに反響があるわけではない。だが今年の5月10日、松浦社長をついに感激させる出来事があった。ある女性社員が「ゴールデンウイーク明けに社長のメールが来ると思っていたのに来ません。楽しみにしていたので少し寂しかったです」とメールを送ってきたのだ。
その社員は「自分の周りの非正社員は優秀で、彼らが仕事にやりがいを感じるにはどのように接すればいいか悩んでいる」「当たり前なことを当たり前にやることは難しいけれども、社員みんなが良く考えてそうできれば会社はもっと良くなる」といったことを自分の言葉で書いて送ってきた。
5月の松浦社長のメールがいつもより遅くなったのは、5月12日の決算発表に合わせて送るつもりでいたからに過ぎなかった。だが、この思わぬ社員の「催促」に松浦社長は顔をほころばせた。
「本当にうれしい。まだまだ人事制度や会社のイベントなど、風土改革には課題が山積みですが、人間をもっと見つめることを続けていけば、共感してくれる人が増えて、会社が変わっていくと思います」(松浦社長)
今回の取材は本来、「失敗を行かせる組織作り」の事例取材の一環として行ったものである。ただし、特集でも大きく取り上げるかどうかは未定だ。今回の取材では、まだ記者がはっきりと認識できる改革成果は見えていないからだ。
それなのに談話をここで詳しく書こうと思い立ったのにはきっかけがある。くしくも、その取材のちょうど1週間後の5月18日に本誌開催セミナー「トヨタ流を自社流に窮める現場改善力」において、キヤノン電子の酒巻久社長がマイクを握るなりこう語ったのである。「トヨタさんは一人ひとりをきちんと見つめたから、あのレベルまでいったのだと思います」──その言葉が、自分の中では、松浦社長が取材の終わりに語った言葉と重なり、ハッとさせられた。
しかも同じセミナーで、小売店の物流部門の業務改善指導をしている豊田自動織機の竹内和彦副社長は「私は涙もろいんです。指導先の開店前の報告会で、女性従業員がほかの女性に仕事のやり方を教えるようになった、といった報告を聞くと感激して泣いてしまうんです」と語っていた。この話に、反射的に吹き出した聴講者の方も多かったが、記者は、指導先の言葉にそこまで心を動かされる竹内副社長の共感力に単純にびっくりしたというのが正直なところだ。なぜ数多(あまた)ある欧米流コンサルタント手法を差し置いて、トヨタ流が業種の壁を超えてまで支持されるのか、改善を成功に導く指導力の秘けつは必ずしも手法だけとも言い切れないのかなという気がした。
本誌ではこれまで、何度となく、風土改革や改革リーダー像にかかわる記事を取り上げてきた。そして4月号では欧米型のコマンドコントロールによる経営に疑問を投げかける一橋大学院の野中郁次郎教授の提言も紹介した。この特集記事では人事制度の見直しにスポットを当てて執筆し、経営者はどう振る舞うべきなのか、というところには深入りはしなかったが、その答えの一部は、これらの一連の取材にあるような気がしてならない。おそらく、人を巻き込み動かす力のかなりの部分は情緒的なものなのだ。そこを改めて意識するだけで、リーダーシップは大幅に強化されるのではないだろうか。