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 今年も熱い夏が来た。小学校は夏休みに突入しただろうか。思い起こせば,記者は小学生時代,夏休みの宿題は夏休みの初日にすべて片付ける少年であった。理由は単純で,小心者の記者は,すべての義務から解放されて精神の自由を獲得しない限り,やり残したことが偏執狂的に気になって,遊びなどの他の作業に手が付けられなかったからである。当時から,大人が仕事をこなす上での基本 --- つまり,作業工程に入るトリガーを把握して管理することや,複数の作業をパラレルにこなすこと,スケジュールを調整して負荷を均一に分散すること --- が,大の苦手だった。

 記者のような性格を持つ技術者は,実は多いのではないだろうか。理想を言えば,パイプラインの流れ作業のように,自分がやるべき作業が明確に見えていて欲しい。さらに理想を言えば,異なる工程のすべてを自分1人で,並列ではなく順番通りにこなしたい。何から着手すればよいかという余計な問題には頭を使いたくない。個人に閉じた労働能力として,作業効率の高さを追求したい。物事は順番通りにやっつける。やっつける速度は気分で決める。もちろん,責任感は人一倍強いので,納期を破ることはあり得ない---。記者にとって,実に居心地の良い世界である。ただし,こうした労働は一般に,“労働集約型”で“属人的”な労働と呼ばれる。ご存知の通り,こうした労働は,ビジネスの世界では必要とされていない。ビジネスにとって必須である“プロセスの標準化“から,もっともかけ離れてしまっているからだ。

能力が均一な組織は標準化が進まない

 先日,記者は機会があって,テスト・ツール・ベンダーであるマーキュリー・インタラクティブ・ジャパンの社長にインタビューを試みた(関連記事)。氏の発言の意味を意図した通り正しく理解できたかどうかは分からないが,一つ言えるのは,「能力が均一であることが,プロセスの標準化を阻む」という氏の解釈に,記者は大きな感銘を受けたということだ。誤解を恐れずに言えば,インタビュー原稿というキッカケがあったとはいえ,仕事の記事で,こうした根源的・本質的なことを書いたのは,今回が初めてである。

 確かに,個々の能力が均一な組織は,組織としてはつながりが弱く,コミュニケーションにかかるコストが安い。さらに,会議やプレゼンなどコミュニケーション自体の機会も少ない。個々の技術者は,組織の一員である以前に,労働集約型の属人的な労働に価値を見出す職人であることが多い。職人同士の間に規律があるとすれば,それは労働者間で取り決めたものというよりは,万人がアプリオリ(先天的)な価値として共有している本来あるべき労働の理想の姿であろう。設計図面なしに,たまたま歯車のかみ合わせが合っている状態を思い起こせばよい。

 一方,職人からすれば理想郷のようなこうした組織は,現在では作り上げるのが難しくなってきている上に,仮に作ることが可能であったとしても,そもそも“競争”には向いていない。現在の大抵の産業のように競争が激化してしまった世界では,まずはビジネスの要素はすべて管理可能でなければならない。管理可能な状況を構築して初めて,生存競争のスタート・ラインに並ぶことができる。見方を変えて事象から眺めてみれば,能力が不均一であるところから,標準化への圧力が生まれ,競争に勝ち抜ける“強い”組織が生まれる,という観察が成り立つだろう。

人月問題とは“常駐”問題のこと?

 さて,能力の不均一と標準化というキーワードから,記者が真っ先に思い浮かべた言葉こそ,“人月”(にんげつ)である。ここで,記者は素朴な疑問を感じるのである。「人月のどこが問題になっているのだろうか」---と。

 人月を語る時,語り手によって人月の問題点は異なる。そもそも,人月の定義が,人月を語る上での前提が,人によって異なる。“人月問題”という言葉があるが,何故,人月がここまで話題になるのか,そのメカニズムを記者は知らない。個々の人々の総意としての社会動向は,それこそマーケティングを駆使して市場調査を実施しなければ見えてこないだろう。

 記者が思うに,人月には問題がある,と見なす人月問題とは,つまるところ,そのほとんどは“常駐”が抱える問題のことを言っているのではないだろうか。

 常駐が抱える問題とは,つまり,こういうことだ。SIベンダーのSEがユーザー企業に常駐する,または協力会社のSEがSIベンダーに常駐する,こうした常駐ベースでの労働契約では,常駐時間単価ベースで労働価値を算出せざるを得ない。請負契約というよりは派遣契約であるためだ。1カ月かかりますと言っているのに2週間しか出勤しなかったら,色々な意味で会社間の関係が悪化する恐れがある。反対に,故意に時間を引き延ばした場合には,引き伸ばした労働時間分の対価を得られる場合が多いだろう。

 常駐の問題点を端に置いておくと,純粋な単位としての人月に異を唱える人は少ないのではないだろうか。人月という言葉が持っている意味だけを表面的に捉えれば,それは,「平均的な能力を持つ労働者が提供する1カ月当たりの労働量を表した単位」である。これは記者の正直な感想だが,“談合”でもしていない限り,健全な自由競争をしている限り,モノの価格は労働者の総労働時間対価へと収束していくのは自明である。製造業者が作る製品に例えれば,開発コストを生産数で割った値が販売単価になることと似ている。

 労働量に関係なく価格が付く世界とは,競争が存在しない世界であり,これを“ブランド”と呼ぶ。ブランドにも程度があるが,もし仮に唯一無二のブランドを得られれば,競争をせずに良い暮らしができるだろう。ダイヤモンドやゴールドが自然界において希少であるが故に高額商品であり続けることと似ている。一方で,ブランドではないもの,すなわちオルタナティブ(代替可能)なものは,コモディティと呼ばれる。「他の誰もが自分の代わりになれるが,自分は平均的な他人よりも仕事ができる」というのが,コモディティ化が進んだ世界の競争である。

 IT産業は,他の産業同様,コモディティ化が進んだ世界であり,ブランドの影響は少ないと記者は思う。SIベンダーがユーザー企業に,協力会社がSIベンダーに人月を提示するのは,至極当然のことと考える。人月の提示とは,情報の細かさという点において情報のディスクローズ(開示)に値し,企業経営が透明であることの証である。むしろ,企業経営が透明であることが,希少価値としてブランドになるだろう。