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ビフォー・ アフター

 スイッチング電源大手のデンセイ・ラムダは2000年3月期に最終赤字を計上して以後、まずは利益確保に追われていた。非中核事業の売却や希望退職者募集、基幹システム再構築によるシステム費用削減や人員削減などだ。

 その後は一進一退が続いた。2002年3月期はIT(情報技術)バブル崩壊のあおりで最終赤字に再転落。連結売上高は2001年12月の子会社売却もあって2002年3月期が前期比35.6%減の375億円。2003年3月期は黒字を確保したが、売上高は323億円とさらに減少。2004年3月期は341億円に持ち直したが、2005年3月期は341億円と横ばいだった。

 それが一転、2006年3月期は売上高を実質6.0%伸ばし、2007年3月期は8.7%増の見通しを出すなど成長軌道に乗りつつある。この成長を支えるのが保有商談件数や商談別の進行状況を情報共有するSFA(営業支援システム)だ。


産業機器展示会でお客に説明するデンセイ・ラムダの営業担当者
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 デンセイ・ラムダは半導体製造装置や携帯電話基地局、コンピュータなどに使われるスイッチング電源と、無停電電源装置を主に手掛ける電源装置の大手メーカーである。1999年に、英国企業が大株主だった旧ネミック・ラムダとNEC系だった旧・日本電気精器が合併してデンセイ・ラムダと改称。2005年7月、旧ネミック・ラムダ以来の株主だった英国企業が株を譲渡して、TDKのグループ会社になった。


いったんはSFA定着に失敗


●保有商談状況を共有して営業力を強化
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 1990年代に旧ネミック・ラムダはトップダウンでIT投資を積極的に進めたことで名を馳せた企業でもあった。96年、まだグループウエアが認知され始めて間もないころ、いち早く「ノーツ」を導入して、営業担当者全員に1人1台ずつノートパソコンを配布した。

 営業日報を電子化してノーツに登録する取り組みは、当時は珍しく、多くのビジネス雑誌が取り上げた。「関西支店から本社に異動した時、紙の営業日報が倉庫で山積みされてまともに読まれていないことを知り愕然(がくぜん)とした」と話す熊澤壽・執行役員SPS営業本部長が、当時に営業本部長としてこの電子化を推進していた。

 ところが、そのノーツによる営業のIT活用は結局はうまく定着しなかった。最大の理由はITツールの使い勝手にあったという。外出先でノートパソコンを起動させて、ノーツのデータベースにアクセスし、入力内容を登録・検索するという一連の作業で、操作中に待たされる時間が長くかかり過ぎていた。ノーツにはデータをあまり多く入れるとすぐに動作が鈍くなるという弱点もあったという。

 しかも、営業部門で情報化の旗を振っていた熊澤本部長は、その後に海外子会社社長へ転出。さらに再び日本へ戻ってからも、最終赤字転落の危機に瀕(ひん)して、熊澤本部長はERP(統合基幹業務)パッケージ導入によるITコスト削減、間接部門のコスト削減などに奔走。SFA推進の旗振り役を欠いた状態が続いた。「一部の社員が自己チェック用に使う程度にしか商談の進ちょく状況の入力は定着しなかった」と熊澤本部長は振り返る。

受注情報だけでは不安


●デンセイ・ラムダの連結売上高
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 ERP導入プロジェクトが一段落した2004年、再び営業情報の共有に目を向けた。まずは国別・地域別の組織図をクリックしていくだけで、簡単に営業所や個人単位の受注状況と売り上げ予測まで閲覧することができるシステム「マネジメント・コックピット」を作った。

 この時に、紙の週報と月報も撤廃して完全に営業活動報告を電子化した。営業担当者一人ひとりが当月および当年度の受注予測を毎週金曜日に更新入力することにしたのだ。

 しかし、熊澤本部長はまだもどかしさを感じていた。同社では大きな商談だと受注までに半年から2年はかかる。受注が一見好調でも、足元で商談が減っている心配があった。

 新規商談がどれだけあって、保有商談はどんな状況なのかを把握したい。それにはやはりSFAに再度取り組むしかないと同社は考えた。

 そこで2005年7月にソフトブレーンのSFAパッケージ「eセールスマネージャー」を導入した。導入対象は、とりあえず熊澤本部長が直轄するSPS営業本部の約100人とした。SPS営業本部の扱うスイッチング電源は同社売上高の8割を担う。当初は国内の営業担当者全員に導入しようとしたが、96年から1人1台のパソコンを配布されていた旧ネミック・ラムダのSPS営業本部と異なり、無停電電源装置などを手掛ける40人規模のSP営業本部はパソコンスキルがあまり高くないことから導入を先送りした。