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 日経コンピュータの売り物の一つに、ニュース欄がある。未発表もの、いわゆるスクープを掲載していた「フラッシュ」と、やや長めの解説を掲載する「ニューズレター」である。発表された案件であっても、独自の解説が書けるのであれば、ニューズレターに掲載するルールであった。今回紹介する記事はニューズレター欄に掲載されたが、その内容は未発表のスクープである。米IBMが200人を超える米国人幹部を東京神谷町に派遣するという動きを速報し、かつ解説まで加えたものだ。この一件については、一般メディアでも大きく取り上げられ、話題になった。

日経コンピューター1984年5月28日号
日経コンピューター1984年5月28日号

 日本,オーストラリア,ニュージーランド,東南アジア各国のIBM事業運営に対して責任と権限を持つA/PG(アジア/太平洋グループ)のグループ・エグゼクティブであるG・H・コンレイデス(George H. Conrades)IBM副社長が7月,200人を超す米国人部下とともに東京に乗り込んでくる。コンレイデス氏はIBM本社(ジョン・R・オペル会長)の61人の役員の中で23番目の序列。アレン・J・クロウ上席副社長らと並び40歳代前半の腕利きの呼び声が高く,前会長のケアリー氏の秘蔵っ子といわれる“大物”。80年にDPD(大型コンピュータ営業部門)社長,82年にNAD(大口ユーザー営業部門)社長をつとめた。日本アイ・ビー・エムの関係者はじめ国産メインフレーム各社は,同氏がどんな対日戦略を展開するのか大きな関心を寄せている。

 A/PGは4月2日のIBMの海外事業再編成によってできた新組織。従来A/FE(IBMワールド・トレード南北アメリカ/極東コーポレーション)はファイファ会長(IBM上席副社長),マッキニ社長(IBM副社長)の下に日本アイ・ビー・エムやカナダIBMなど各国のIBMが位置づけられ,椎名武雄日本アイ・ビー・エム社長はマッキニ氏に業務報告していた。今後はコンレイデス氏に業務報告する。

 今回A/FEはカナダIBM,中南米ディビジョン,そしてA/PGの新しいオペレーティング・ユニットに分けられ,前2者の事業体をマッキニ氏が,A/PGをコンレイデス氏が統轄することになった。一方,E/ME/A(IBMワールド・トレード・ヨーロッパ/中東/アフリカ・コーポレーション)は,カッサニ会長(IBMヨーロッパ社長兼IBM上席副社長)が英,西独,仏,伊,その他地域の5つのオペレーティング・ユニットと製品開発調整・統轄のビジネス・マネジメントを掌握する。

 これらに比べ日本アイ・ビー・エムは西独IBMなどと並ぶIBMの重要な子会社でありながら,経営上の責任と権限をもつオペレーティング・ユニットには指定されなかった。単純にみると日本アイ・ビー・エムの地位は下がったようにみえる。

 これについてあるIBMウォッチャは,IBMが日本および極東市場の重要性を認識するとともに,日本アイ・ビー・エムをIBM全体の中で製品開発,製造の面で活用しようという意図が一層鮮明になったとみる。日本市場が米国に次ぐマーケットであることは論を待たないが,成長著しい韓国や台湾,シンガポール,そして巨大な潜在市場中国は,低成長の欧州とは比較にならない重要な市場だとIBMが考え始めた。そして最も注目しなければならないのは市場を制覇するための戦略,戦術は米国人が立てるということだ。そこで極東に大物コンレイデス氏を送り込んできたとみる。日本市場で苦戦する日本アイ・ビー・エムに,将来的に極東地区のマーケティングを任せられないというIBMの高度な判断があったのだと厳しい見方をする人もいる。日本市場は競争が厳しくIBMにとってクリーンなビジネスをしにくい事情はあるが,シエアが伸びない経営責任を日本アイ・ビー・エムに負わしたのだという。椎名社長が辞表を提出したとのうわさがあるのもこうしたことと無関係ではない。

 別の消息筋もその見方を支持し,今回のA/PGの日本設置は,日本アイ・ビー・エムの製品開発と製造のリソースをIBMが徹底的に活用するため設けたとみている。したがって藤沢,野洲両工場の拡張を図り,ほかにも工場を建設する可能性は高いとしている。だが,マーケティングに関してはテコ入れが図られ,椎名氏初め日本アイ・ビー・エムの販売・サポート部門は,より厳しく市場に対応することが要求されるだろうという。

 富士通,日本電気,日立製作所の3社は,日本市場での成功をテコに,海外進出で業容の拡大を図ろうとしている。その意欲を減退させる作戦は日本市場で日本メーカーをたたく以外にない。日本から外へ出さない“水際作戦”をIBMは研究しているというわけだ。

 同ウォッチャはさらに先をみた場合,極東という市場のポテンシャルから,A/PGが2つに分けられ,現在のA/FE,E/ME/Aと同列に極東コーポレーションが東京に設立される可能性は強いとみる。1980年に米IBMのDPD,1982年1月にNADのいずれもプレジデント(主席業務執行役員,1981年12月にIBM本社の副社長に昇格)をつとめ上げ,1982年2月末から,IBMの大型機,大型周辺機,論理素子などの開発・製造を統轄するIS/TG(インフォメーション・システムズ/テクノロジ・グループ)のアシスタント・グループ・エグゼクティブ(製品の計画・管理担当)を歴任,マーケティングと製品計画で腕を振るってきたコンレイデス氏であるだけに,同氏の東京駐在は各方面に大きなインパクトを与えることになろう。

※本稿は,日経コンピュータ1984年5月28日号(70号)に掲載されたニュース記事『IBMの“切れ者”コンレイデス氏東京へ乗り込む ~ 日本アイ・ビー・エムのマーケティングをテコ入れか』の再録です。企業名・肩書き・製品名は掲載当時のものです。