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 ウィルコムが10月26日に八剱洋一郎社長が退任すると発表した。後任には執行役員経営企画本部長の喜久川政樹氏が就任する方向で内定した(関連記事)。

 ここで昔話をすると,2004年末に日本IBMの出身者が相次いで大手通信事業者のトップに就任したことが,ちょっとした話題となった。具体的に言えば日本テレコム(当時)の社長に2004年2月に就任した倉重英樹氏,2004年6月にパワードコム(当時)の社長となった中根滋氏,そして2005年1月にDDIポケット(2005年2月にウィルコムに社名変更)の社長となった八剱氏である。筆者は日経コミュニケーションの2005年1月1日号に「八剱氏は日本IBM出身。日本テレコムの倉重氏,パワードコムの中根氏に続き,大手通信事業者のトップに日本IBM出身者が就く」と掲載したことを記憶している。

 その後,3人の社長はそれぞれ,社長に就任した会社ごと通信再編の荒波に飲み込まれる。

 東京電力の子会社だったパワードコムは2006年1月1日にKDDIと合併。これに伴い合併前日の2005年12月末日付けで中根氏はパワードコムを退任した。いみじくも今週(10月12日に)発表があった,KDDIによる東京電力のFTTH事業統合(関連記事)は,パワードコムとKDDIの合併合意の際から検討されてきたスキームがようやく決着を見たものだ。

 2004年7月にソフトバンク・グループの一員となった日本テレコムは,2006年10月1日に社名をソフトバンクテレコムに変更。同時にソフトバンク・グループの総帥,孫正義氏を社長に迎えた。日本テレコムの社長だった倉重氏はボーダフォン(現・ソフトバンクモバイル)の買収を経て,ソフトバンク・グループが一丸となる中,「リーダーが二人いるというのはおかしい」と考え,社長を退任する決意を固めたという。

 中根氏のパワードコムと倉重氏の日本テレコムが,KDDIとソフトバンクの各グループに取り込まれていったのに対し,ウィルコムは独自路線を進んでいる。ここにはKDDIからDDIポケット(当時)を買収した米大手投資ファンドのカーライル・グループの意向が垣間見える。NTTドコモでさえもが見切りを付けたPHSサービスの可能性に着目し,中長期的に事業を拡大させる考えなのだ。KDDIやソフトバンクが固定通信や携帯電話を統合させたFMC(fixed mobile convergence)モデルで事業再編を進めているのとは一線を画している。

 八剱氏は社長就任直後,DDIポケット時代から準備していた「音声定額プラン」の投入を前倒しで実施するように指示を出し,2005年5月にサービスを開始した。「これ以上前倒しはできない究極のスピードを追求した」と八剱氏はインタビューに答えている。この決断が契機の一つとなってウィルコムのPHSは復活。加入者数は400万を突破し,現在では毎月史上最大の契約数を更新している。

 好調時ながら退任する理由は「八剱社長は当初から事業が軌道に乗ったら退任して内部から社長を登用することになっていた」(ウィルコム)。後任となる喜久川氏は,DDI(当時)に入社後,DDIポケットがPHS事業を始めた1995年から同社に在籍するいわば生え抜きの人物だ。

 日本IBM出身の3人が同時期に社長を務め,それぞれの親会社の意向に大きく翻弄され,ついに3人ともが社長の座を退くことになった通信業界。この業界の変化の激しさは,各社長が就任した当時の社名が,現在では一つも残っていないことが象徴している。