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安達氏写真

安達 和夫(あだち・かずお)

EABuS(東アジア国際ビジネス支援センター) 理事

1974年、日本ユニシス株式会社(当時:日本ユニバック株式会社)に入社。2001年から4年間、次世代電子商取引推進協議会(ECOM)に在籍し、内外の電子政府の利活用状況に関する研究に従事。ECOM時代に志を同じくするメンバーとNPO法人EABuSを設立し、理事兼事務局長に就任。

 8月31日、外務省はパスポート電子申請の停止を発表した。停止時点で12の県で導入されていたが、利用率が極めて低迷しており、今後利用率向上の目途が立たないことが停止の理由であると説明している(外務省「パスポート電子申請の停止について」)。

 筆者は、この短い発表文のなかに電子政府の抱えている共通の問題点が凝縮されていると感じている。

 先般ご承知のとおり、国はe-Japan重点計画のもとで国の申請届出のオンライン化に、いわば片っ端から取り組んできた。その結果、2004年度末には96%の手続がオンライン化されるという、他国にも類をみないほどの整備が行われてきた。半面、利用率は0.7%程度と大きく低迷しており、1兆3千億円(衆議院予算委員会第164回第5号〔平成18年2月6日〕における、中川秀直・自民党政調会長〔当時〕の質問より)という巨費を投入した意味が問われている。

 そこで、IT新改革戦略において2010年度末までに50%の利用率達成目標が定められた。一方で自民党は2月に「オンライン利用促進行動計画に対する申入れ」において50%という目標達成見込みのないシステム投資の凍結を提言、7月に財務省が発表した「予算執行調査」において、パスポート電子申請の廃止を含めた見直し検討」を勧告した。「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」(7月7日閣議決定)には、「2010年度までにオンライン利用率50%以上の目標達成が困難であ ると認められるシステムについては、2007年度予算要求を行うか否か を含め、当該システムの必要性等の再検討を行う」という記述もある。

 パスポート電子申請は、こうした背景から停止(実質的には廃止といっていいだろう)に追い込まれたといっていいだろう。しかし筆者は、「パスポート電子申請は停止すべきではなかった」と考えている。以下、その理由を説明していきたい。

(1)どこにメリットを置いて開発したのか?

 システムである以上、利用者が便利さを感じる仕組みを提供することが最低条件である。この意味でのパスポート電子申請には大きなメリットがあった。これまでの手続きだと、申請者は申請時と受領時の2回旅券事務所へ行かなくてはならなかったが、電子申請の導入によってパスポート受領時の1回で済むようになったのである。

 筆者もパスポートの有効期限が切れたので、先日更新手続のために会社を休んで旅券センターに出向いた。筆者の居住する千葉県では電子申請には対応しておらず、しかも発行申請窓口は平日しか開いていないためである。この体験から、確かに申請が電子的に行えれば便利になる、と改めて感じたものである。千葉県では、パスポートの申請受付は平日のみだが受領窓口は日曜日も開いているので、電子申請が可能であれば、更新手続きのために会社を休む必要もない。

(2)パスポート電子申請に公的個人認証は不要だったのではないか?

 これはパスポート電子申請にとどまらず、あらゆる電子申請に共通して言えることであるが、現在提供されている電子申請は、これまで対面で提出していた書類をインターネット送付に置き換えただけである。つまり、既存法規、制度を絶対条件として実現可能な範囲でのオンライン化、いわば"現実解"を急いだ、というのが実態であろう。ある省庁の電子申請画面を見たら、手書きの申請書がそのまま画面に現れ、ご丁寧に氏名の横にマル印まで表示されていたのには苦笑したことがある。

 パスポート電子申請にも、こうした傾向が顕著に現れていた。パスポートの電子申請では、従前の申請で添付が求められていた「住民票の写し」は「公的個人認証」に置き換えられ、戸籍抄本は別送することになっていた。ところが、公的個人認証の普及が遅れており、電子申請の足を引っ張る主要な要因になったことは明らかである。

 これは、従前の対面による申請手続きをそのまま電子申請でも踏襲したことによる弊害である。パスポートの場合は、受領のために本人が窓口に出向く必要がある。つまり、本人確認はパスポートを受領する時でも可能なはずだ。受領時に戸籍抄本等の必要書類の提出と併せて、本人確認および国籍や本籍地等記載内容の確認をすることとし、電子申請の段階はあくまでパスポートに必要な記載内容のみを電子的に届けると割り切って、認証を不要とするやり方もあったのではないか。本人確認の問題は受領時にそれを行うことで解決できるはずであり、問題が残るとすれば制度面のみではないだろうか。

 これまでのパスポートの電子申請システムが"現実解"を反映したフェーズ1とすれば、現状の行政の仕組みにこだわるのではなく、利便性の高いシステムに向けて徐々に制度も見直していく努力こそが重要であると筆者は考える(既に"廃止"は決まってしまったが…)。

(3)どこまでの将来展望があったのか?

 筆者が新たに取得したパスポートはICチップが埋め込まれたe-パスポートである。そこには氏名、生年月日、出生地などの基本情報のほかに、顔画像などの生体情報も記録されており、電子的な本人確認手段として精緻かつ確実な仕組みが実現できた意味が大きいと思う。

 つまり、パスポートの盗難や偽造防止と入出国審査の効率化という本来の目的と同時に、非常に利用範囲の狭い住民基本台帳カードによる公的個人認証に代わって、e-パスポートそれ自体がパスポート電子申請をはじめその他のあらゆる電子申請においてより実際的な電子的本人確認の有力なツールになる可能性があるということである。今回のパスポート電子申請をこのような本人確認手段に繋げるための第一段階である、というシナリオは描けなかったのだろうか? また、e-パスポートの更新時には、パスポート自体が何よりの電子的な身分証明になることから、手続はより簡便になるかもしれない。

(4)県との意志疎通が十分に図られていなかったのではないか?

 外務省のパスポート電子申請停止の発表記事にもあるように、最終的にパスポート電子申請に対応した県は12県でしかなかった。以前、私の在住する千葉県(電子申請未対応県)に電子申請をしない理由を問い合わせたところ、以下の回答があった。

パスポートの電子申請については、申請とは別に、戸籍謄本等の必要書類を郵送する必要がある、交付の際には必ずご本人が窓口に来る必要があるなど、まだまだお客様にお手数をおかけする点が多い反面、そのためのシステムの開発・維持に多額の経費がかかることから、費用対効果等を考慮しつつ、将来的な導入についての検討を行っております。
県では、旅券の窓口を11箇所設けるなど、お客様の利便性の向上に努めておりますので、なにとぞご理解のほどよろしくお願いいたします。

 この回答から察するに、県レベルでは費用対効果について疑問視する意見が多かったのではないか?千葉県では、パスポートの電子申請を行わない代わりに、旅券窓口を11カ所設けると言っている。その費用負担は電子申請の比ではないと思われるが、県はその方が費用対効果が高いと判断したのだろう。このような国と県との意識の齟齬を払拭しないまま、既定路線として強引にパスポート電子申請を進めたのが実際のところだろうと思える。事前に意識のすり合わせができていれば、パスポート電子申請に対応する都道府県はもっと多かったのではないか。

 パスポート事務同様に、国の事務を地方公共団体に委任する法定受託事務は多い。これらの事務の電子申請においても、国と地方公共団体で大局的な観点を含めて合意を取り付けつつ進めていくのが当然のように思える。

■今後、安易な「電子申請の廃止」が進む恐れも

 先日韓国に出向き、ソウルで電子政府関係者と懇談する機会があった。

 日本でパスポートの電子申請が廃止されたことは、日本以上に韓国のメディアが大きく取り上げたようである。そして、その論評は「税金をかけて作ったシステムをなぜ簡単に捨ててしまうのか?韓国なら国民が怒り下手をすれば訴訟にもなりかねない」といった、かなり冷ややかなものであったとのことだ。

 ちなみに、韓国でのパスポート申請は一回も役所に出向く必要はなく、電子申請を行うことで後日パスポートが郵送される。わが国と違って政治的な緊張関係から国民全てに社会保障番号が割り当てられており、さらに官民相乗りのPKIも一般化しているといった国情の違いはあるものの、非常に大胆な仕組みである。社会保障番号に連動した個人情報は、行政自治部(日本では総務省)に属する行政情報共有化委員会で審議され、そこで決議されると自治体も含めた全ての行政間で必要に応じて交換されるという。そのため、必要な申請手続きは飛躍的に減少したと説明された。個人情報保護の観点からの議論はないのか?との問いには「便利になることで文句を言う国民はいませんよ」と事もなげな答えが返ってきた。

 2010年度末までに電子申請の利用率50%達成という行動目標は、電子政府が国民の大多数から支持を得るという意味では必要な数値目標であるが、50%という数字が一人歩きして、分母を減らす(=電子申請を廃止する)方向に進むのではないかと懸念している。また、「利用が進まないのは公的個人認証が普及していないからだ」とエクスキューズしても何の解決にもならない。

 繰り返しになるが、システムは構築するだけではなく、常にメンテナンスを繰り返す努力こそが重要である。これが行政システムのように大規模で複雑なものであれば、なおさら長期的な視点に立ち、国のシステム全体を俯瞰したPDCAサイクルを回していくことが求められていると思われる。