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金型部品と切削工具を製作するための特殊な研削盤が主力製品。代理店を通さない直販方式で技術力と顧客の信頼をつかんできた。4年前には景気の悪化で需要が減り、赤字に転落した。「売上高が半分になっても利益が出せる体質作り」に精を出す。新工場、新社長、新規事業―。昨年の上場を機に新たなスタートを切る。

●和井田製作所の概要と業績推移(連結)
●和井田製作所の概要と業績推移(連結)

 昨年6月、飛騨高山に唯一となる上場企業が誕生した。研削盤メーカーである和井田製作所だ。研削盤とは砥石車を回転させ物質に精密な加工を施す工作機械だ。1兆円を超す工作機械市場で1割を占める研削盤の中でも、同社は金属より硬いダイヤモンドなどの物質を加工する特殊な研削盤を手がける。

 用途は大きく2つに絞っており、プレス金型やモールド金型における精密金型部品の製作に用いる成型研削盤では6割の国内シェアを、刃先を交換するタイプの切削工具関連研削盤では8割の国内シェアを握るという。自動車関連を中心に様々なメーカーの工場で同社の製品は活躍している。2006年6月期の売上高は前年度比11.2%増の68億3900万円で経常利益は32%増の11億5900万円。売上高経常利益率は17%にも及ぶ。2007年6月期も増収増益を見込んでいる。

自動車産業の黎明期を支えた町工場

 業績好調の同社も常に順風満帆だったわけではない。4年前には売り上げが4割減となる危機に見舞われ経常赤字にも陥っている。それを乗り越えて、昨年6月にジャスダック上場にこぎつけることができたのは、技術力を鍛える独自の営業戦略と危機意識から生まれた管理会計の導入があったからだ。

 和井田製作所が創業したのは第2次世界大戦前の1933年。創業の地は東京・蒲田だった。シリンダーボーリングマシンなどの自動車整備機械を手がけていたという。「父(創業者の和井田次郎氏)はトヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏を訪ねて意見を交わしたことがあったそうだ」(和井田俶生(ひでお)社長)というから、和井田製作所は自動車製造大国である日本の黎明(れいめい)期を支えた町工場の1つだったといえる。

 その後、同社の製品は軍のトラックに使われて生産量が増えた。戦時中に空襲を避けて次郎氏の妻の実家があった岐阜県高山市に拠点を移した。終戦の翌年である46年には高山市で株式会社化して再スタートを切った。

独自の技術を磨く販売方法

 転換期となったのは56年に開発した超硬工具研削盤だ。硬い物質を削り形を整える機械を作ったことで工作機械メーカーにシフトしていった。ただし研削盤メーカーとしては後発。競合とは同じ土俵に乗らず製品の独自性で勝負する必要があった。そこで和井田製作所が選択したのは商社や代理店を通さず直接ユーザーに研削盤を販売するやり方だった。工作機械の世界ではかなり珍しい試みだったという。

 直販方式に切り替えると製品に対する顧客の要望がより多く届く。それに応えようと開発に力が入り、自然と技術力は高まる。ただし、生産能力には限界がある。そこで研削盤の中でも非常に硬い物質を高精度で加工する特殊な製品に特化し、用途も金型と切削工具関連だけにした。

 直販方式だと販路拡大には苦労しそうなものだが、「顧客である金型メーカーや大手メーカーの金型部門の人たちは互いに知り合いで情報交換をしていることが多い。魅力ある商品を作れば彼らの中で一気に広がっていく」と和井田社長は言う。優れた製品はそのものが広告となり営業マンとなる。

 工作機械の世界ではコンピュータの進化とともにNC(数値制御)加工化の流れが1970年あたりから広まっていったが、直販を通じていち早く顧客のニーズを感じていた和井田製作所ではライバル企業に先駆けてNC研削盤を開発し、市場でのシェアを伸ばした。1980年代半ばには国内市場のシェアトップを握ったという。

高山市の本社工場。同じ敷地内に建設中の新工場が完成し、フル稼働すれば生産量は1.5倍になる。右下は、主力製品である全自動CNC万能工具研削盤
高山市の本社工場。同じ敷地内に建設中の新工場が完成し、フル稼働すれば生産量は1.5倍になる。右下は、主力製品である全自動CNC万能工具研削盤