顧客が業務要件を検討する上流工程を,ベンダー企業が支援するケースが増えている。だが,IT知識や技術を振りかざすばかりで,顧客の業務改善に水を差してしまうITエンジニアも少なくない。顧客のビジネス課題を理解できないエンジニアは,いずれ淘汰される。
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イラスト 野村 タケオ |
食品メーカー中堅のD社では,会計システムの老朽化が問題になっていた。10年前に導入した現行のシステムは,度重なる機能追加や修正によりつぎはぎだらけ。保守管理にかかるコストが膨れ上がっていた。さらに,開発当時の担当者が数年前に引退してしまったことが,事態を悪化させた。税制や法律改正へのシステム対応が,後手に回りがちになってしまっていたのだ。複雑なシステム全体を把握している人材がおらず,どのプログラムにどう修正すべきか判断する事前調査に多くの工数を割かねばならないからである。
現状に危機感を抱いたD社は,4月に全社横断的なシステム刷新プロジェクトを立ち上げた。経営管理室や財務部などの課長クラスが顔をそろえたこのプロジェクトの狙いは,大きく2つあった。1つはもちろん,会計制度の変更に素早く低コストで対応できる仕組み作りである。もう1つの狙いは,経営判断や現場での実務に会計情報を活用できる体制を築くことだ。特に後者については,「システム上の制約からこれまではできなかった業務効率化を,一気に推進したい」と,プロジェクト・メンバー全員が大きく期待していた。
自社ソフト導入を決め込む
最初の顔合わせでプロジェクトの進め方を話し合った後,メンバーの1人であるIT推進室のM課長が切り出した。「業務処理の見直しやシステム要件を検討する時点から,社外のSEに参画してもらいましょう。その方が,その後の開発作業がスムーズに行きますから」。他のメンバーも異論はなく,現行システムをサポートしているベンダー企業のS社にSEを派遣してもらうよう要請することになった。こうしてD社に乗り込んだのが,Bさん(34歳)である。
Bさんは,S社に入社して10年目の中堅SEだ。システム開発だけでなく,客先企業への提案活動にも積極的に携わり活躍してきた。会計システム開発プロジェクトをいくつか手がけた経験もあることから,D社プロジェクトに適任と判断されたのだ。
張り切ったBさんは初回ミーティングで,市販の会計パッケージを利用する案を披露した。「制度変更が発生しても,ベンダーが提供するバージョン・アップ情報を利用すれば,ほとんど手間がかかりません」。Bさんの言葉に,メンバーは皆納得したようだった。「よし!」。Bさんは,心の中でつぶやいた。実は,「今回のプロジェクトは,自社が販売する財務会計パッケージを納入する好機」とにらんでいた。「これでうちの製品を導入することは決まったな」。思い通りの展開に,Bさんは自信を深めた。
次のミーティングからはいよいよ,D社の各部門が持つ課題と,システムによる解決策を具体的に検討する作業に入った。プロジェクトにおける最初の山場である。口火を切ったのは,経営管理部のC課長だった。「日次で入力・処理した会計データを活用したい。経営層や現場責任者に,リアルタイムの売り上げや利益情報をフィードバックして,顧客サービスの充実や経営判断を支援したいんだ」。これを聞いたBさんは即座に,「それは難しいです。私がお薦めする会計パッケージはそのような機能はサポートしていませんので,かなりのカスタマイズが必要になります。今回のシステム予算では不可能です」。こう言われて,C課長は黙り込んだ。
続いて発言したのは,財務部のK課長である。「今までのシステムでは,出力帳票の種類が限られていて顧客別や商品別の債権や債務状況を細かく把握できなかったんだ。新システムではぜひ,この点を解決して欲しい」。Bさんは首を横に振り,「残念ですが,パッケージの標準機能ではサポートできません」と言った。K課長は,憮然とした表情で椅子に寄りかかった。
ソフトの機能を最優先
しばらく続いた沈黙を破ったのは,業務部のF課長だった。「請求や支払い処理を,取引先の事情に合わせて柔軟にできないだろうか。例えば,請求や支払いの締め日を1つに固定せず,予備日を作るとか」。Bさんはまたしても「それも難しいですねえ」と口ごもり,「パッケージに業務を合わせるくらいの気持ちでないと,うまくいきませんよ」と続けた。
ここでとうとう,C課長が爆発した。「ふざけるのもいい加減にしてくれ。いいかB君,我々の目的はS社のパッケージを導入することではない。経営に役に立つシステムが欲しいんだ」。
Bさんは今まで多くのシステム構築に携わってきたが,顧客にこんな風に怒鳴られたことはない。初めての経験に,顔面蒼白になった。C課長の苦言は続いた。「まず,我々がシステムで何を実現したいのか理解してくれよ。限られた予算や期間の中で,新システムをどうやったら我々の理想に近付けられるかを一緒に考えて欲しいんだ」。IT推進室のM課長は,その場をどう収拾してよいか分からず,オロオロするばかりだった。C課長は構わず,「システム側の都合しか考えないなんて,単なるコンピュータ屋だ。それなら,このプロジェクトには不要だよ」とまで言い切った。
確かにBさんは,D社が目指す新たなシステム像に関心を払っていなかった。それどころか,使用するソフトを決め付け,その範囲内に無理やりシステムをまとめようとした。C課長が憤るのも,無理はなかった。そう理解したBさんは,唇を噛むしかなかった。
まず,顧客のニーズありき。Bさんは,そんなITエンジニアとしての基本を忘れていたために顧客を怒らせてしまった。「顧客の要求に応えるには,まだまだ勉強しなければいけないことは多い」。そう思い知ったBさんだが,D社からの信頼を回復するには時間がかかりそうだ。
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