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NSRI(USA) 林 光一郎

 新年が明け,早1カ月が過ぎようとしています。今年のニューヨークは驚くほどの暖冬で,おかげで寒さに悩まされることなく帰国の準備をすることができました。私がニューヨークを出発するのは1月20日。みなさんがこの原稿を読まれる時には,私は日本の新たな部署で,仕事に従事しているはずです。

 この年末年始,私は例年以上に大忙しの日々を過ごしました。銀行の窓口に出かけて口座を閉じる手続きをしたり,忘年会,新年会,送別会へ出席したり,その合間を縫って論文提出のための作業を続けたりと,帰国前になんとか修士論文の学部事務室への提出を済ませることができました。今回はその顛末を紹介します。

論文提出のための事務作業,不在だとどうなる?

 テーマ決めに悩んだり,作業を進めてはやり直しをしたりしていた論文も,11月の下旬にはどうにか形になりました。そんな状態のときに帰国の辞令が出たのです。12月の最初の打ち合わせで,私は指導教官に今後の作業の進め方を相談しました。教官からの返事は,「内容についてはほぼ必要なレベルに達したので,修士論文としての体裁を整える作業を進めるとともに,学部の承認を得るための手続きを調べておくように」というものでした。

 私はその時点まで執筆にかかりっきりで,承認のための作業について,まったく知識はありませんでした。調べてみたところ,学部の承認を得るためには,実際に事務室に足を運ぶ必要があったのです。今までの論文執筆作業中のやり取りは,すべて電話とメールで行なっていたので,これは私にとって予期しないことでした。

 どこの大学院でも,修士論文はタイトル名を金押ししたハードカバーに製本して,事務室に納品するのが一般的です。ですが,どこで製本してもいいというわけにはいきません。各大学院によって微妙なフォーマットの違いなどがあるため,事情をよく知った地元の印刷屋さんに依頼しないと,トラブルが発生したときに面倒になることが多いからです。ちなみに製本にかかる日数は3日から5日ということでした。

 指導教官のOKをとっただけでは,製本には進めません。というのも私の学部では,指導教官の他に,学内の校閲者にみてもらわなければならないからです。印刷した論文をリング止めで簡易製本したものを,事務室に提出するのです。こちらも校閲の結果を受けて再提出を求められる場合がしばしばあるため,日本に戻ってしまうと,対応しにくくなります。まぁ,印刷はキンコーズで引き受けてくれるような標準的なものでしたので,日本に戻っても,キンコーズに依頼してFedExで大学院に送ってもらえばいいということが分かりました。幸いニューヨークに残る友達が,ハードカバーに製本された論文の提出作業を引き受けてくれることになりました。

 教授の話や学生仲間の体験談を聞くに,帰国前に校閲まで済ませ,ハードカバーの最終版を提出するのはまず無理だということが分かりました。ですが,簡易製本版の提出まではどうしても済ませておかないといけません。そうでないと,作業の内容を伝えられませんし,何かトラブルが起きたときに対応することもできません。このため,帰国までに何とか簡易製本版の提出までこぎつけようと,指導教官とスケジュールの調整をすることになりました。

 余談ながら,ここまで頑張って提出する修士論文ですが,私の学部では事務室限りでの閲覧で,コピーを取ることも許されません。指導教官も事務室の事務員も,なぜ公開しないのかその理由を教えてはくれませんでした。日本の社会人大学院を卒業した友人に話を聞くと,「僕の指導教官は『ときどき,レベルの低すぎる論文が混じってしまうので,一般公開はしない』と言われたな」とのこと。ニューヨーク大学(NYU)の方針は分かりませんが,自分の論文のレベルについていささか考え込んでしまいました。

ホリデーシーズンと重なった作業期間,休暇に入った指導教官は…

 提出するまでにしなければならないことを確認した私は,改めて帰国日までのスケジュールを組むことにしました。純粋に日数だけ数えれば決して短くはないのですが,やっかいだったのは,クリスマスと年末年始を挟むホリデーシーズンと重なってしまったことです。学部の事務室が休む期間は日本の大学と比べると短いのですが,指導教官や校閲者などがみな休暇を取ってしまうのです。それを見込んでスケジュールを組むと,結構ギリギリのものになってしまいました。それを指導教官に見せたところ,「このスケジュールでいこう」とおしゃってくださり,私もその言葉を信じて走り出すことにしました。仕事の引き継ぎ,荷物の梱包,銀行やクレジットカードのアカウントを閉じる作業……と,論文のほかにもやるべきことはたくさんありました。また忘年会の時期でもあり,私の送別会を兼ねてくれているため,不義理もできませんでした。

 論文作業については,一旦書きあがった気楽さからか,秋の苦労が嘘のようにすらすらと進みました。校閲の方も,休暇前で忙しいのにもかかわらず,素早いレスポンスで対応してくださり,本当に助かりました。が,肝心の指導教官が何か本業の用事に巻き込まれてしまったようで,レスポンスが悪くなってしまったのです。私が悩んでいた時期に辛抱強く待ってくれたのに申し訳ない……とは思いつつも,日本への帰国という事情が目前に迫っては,どうしてもイライラしてしまいます。クリスマス直前,私が必要だと思っていたものよりかなりシンプルな修正項目をメールで送ってきただけで,彼は休暇に入ってしまいました。

 修正項目を見て私は悩みました。修正の方法には何通りかの方法がありましたが,いずれの方法を選んでも,それに対応するには時間がかかります。つまり,指導教官が戻ってくるまでに一つの方法しか取れそうにないのです。そして,その方法が間違っていれば,米国滞在中に論文を提出できなくなるかもしれないのです。考え抜いた末,一番適切と考えられる方法で修正を行い,指導教官の休暇明け直前に完成した論文をメールで送りました。休み明けの打ち合わせで,「これで提出してよい」と言われたときには,体中の力が抜けるような気になったものです。

 この連載も残り2回となりました。次回は論文の現状をご報告するとともに,社会人大学院生活を振り返って私が得たものについて紹介したいと思います。


荷物を梱包する直前の私の部屋です。お気に入りだったのが,日本を出国する際に家具屋で見つけた置き畳と電気コタツ(日本でも使用していたもの)。この連載も半分はコタツに入って書いたもの。今振り返ってみると,大きめのソファーを置き,寝転がりながらテレビを見る生活もしてみたかったです。
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 林 光一郎(はやし こういちろう)
NSRI(USA)

1991年,京都大学農学部卒業後,日本郵船に入社。関連IT企業のNYKシステム総研への出向を経て現職。現在はニューヨークにあるNSRI(日本郵船グループ)社内のアプリケーション開発プロジェクトに従事しながら,ニューヨーク大学大学院Management and Systems学科に在学。情報処理技術者試験に関する複数の著書のほか,「情報処理技術者用語辞典」(日経BP社)のデータベース項目の執筆を担当。日本システムアナリスト協会・中小企業診断協会会員

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