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 John S. Chen (ジョン・チェン)に初めて出会ったのは,2000年にサンフランシスコの中華街で,点心を一緒に楽しんだ時のことだ。ジョンは,その2年前の1998年にSybaseのCEO兼会長に就任しており,当時ターボリナックスのCEO兼会長だった私は,ターボリナックスの役員として彼を招きたいと思い,飲茶 (ヤムチャ)に誘った。ジョンはその後,しばらくターボリナックスの非常勤取締役を務めてくれた。

 ジョンの率いるSybaseはモバイルソフトウェア市場で勢力を拡大し,収益を伸ばした。ジョン自身は,駆け出しの頃,13年間をUnisysで過ごし,その後Pyramid Technology Corporationに入社。会長兼CEOになった。1995年にはSiemens NixdorfとPyramid Technology Corporationの合併交渉を行い,Siemens NixdorfのOpen Enterprise Computing部門のCEO兼社長となった。

 ジョンはまた,Walt Disney CompanyやWells Fargo & Co. など数々の大企業の役員として名を連ねており,地域社会をはじめとしてアジア外交や国際外交にも積極的に取り組んでいる。2005年には,ジョージ・W・ブッシュ大統領により,国際貿易方針について助言を行う大統領輸出諮問委員会 (President's Export Council) のメンバーにも任命されている。



Sybase社CEO兼会長のJohn S. Chen(左)とクリフ・ミラー
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C:子供時代はどこで過ごしましたか?

ジョン:香港で生まれて,17歳のときにアメリカに来ました。両親は上海出身です。

C:子供のころ,主に話していた言語は?

ジョン:10歳までは上海語でした。一緒に住んでいた祖母が,上海語しか話せませんでしたから。その後,学校では広東語,アメリカに来てからはもちろん英語です。妻が台湾の出身ですので,今は北京語も話せます。

C:ご両親,おばあさまが大切にしておられた価値観にはどのようなものがありましたか?

ジョン:勤勉さが非常に重要であると教えられました。父は会計学の学位を持っておりますが,中国で取得したものでした。当時,香港はイギリスの植民地でしたから,中国の学位は認められませんでした。父は家族を支えるために,同時に2つの仕事を持ったりしなければなりませんでした。それでも,夜には英語を習いに行く努力をしていました。

 誠実で正直であることの大切さを学ぶという意味では,信仰も大きかったですね。うちは敬虔なカトリックです。子供のころは侍者を務めていました。そのころは神父とラテン語で会話することもできました。

クリフのコメント:アメリカのCEOたちは,さまざまなルーツを持っており,それはしばしば,統率する会社の事業にも直接的な影響を及ぼす。たとえばジョン・チェンのSybaseは中国で活発な事業を展開している。アメリカの大学で工学を専攻し,卒業していくアジア学生,特にインドや中国からの留学生の数は毎年数万人に及び,アメリカに残ってハイテク企業を起こす例も少なくない。その事業を通して,自然にアメリカとアジアの力強い架け橋となるのだ。


C:アジア,特に中国では教育が重視されると西洋ではよく言われますが,あなたもそのような環境で育ったのですか?

ジョン:ええ。私が子供のころの香港には,共産圏からの亡命者が流入し,お金を持っている人は少なかったのですが,それでも教養のある人が多かったのです。

 数学や科学などの,よい教育がなければ,出世することはできないし,貧困の悪循環を断ち切ることはできないという考え方が主流でした。欧米では,アジアの人が数学や科学を学ぶ遺伝子を持っていると思われているようですが,それは本当のことではありません。あなたはアジアの歴史についてよくご存知ですから,申し上げますが,中国は数千年に渡り,詩,芸術,文学,つまり「文系の学問」をより尊んできました。そのため,中国は工学や科学において,遅れをとってしまったのです。

 そうしてアヘン戦争や第二次世界大戦が勃発し,諸外国が中国にやってきて,足がかりを築きました。中国は国を守ることができなかった。詩では鉄砲と戦えませんからね

クリフのコメント:最近のアメリカで開催される高校生数学や科学コンテストの優勝者名簿を見ると,いつもアジア人の名前があふれている。大学に進学するアメリカの若者の中で,数学,自然科学,工学を専攻するアジア系アメリカ人の割合は,他の人種にくらべてずっと高くなっている。