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派遣ビジネスの問題

 派遣ビジネスは、ソフトウエア開発作業を成果で請け負うのではなく、一カ月いくらというように、技術者の時間を売る。派遣指向のソフトウエア会社にとって最大の関心事は、人月単価(技術者一人が一カ月働くときの単価)と、人の稼働率であって、稼ぎが減る開発プロセスの改善や、余計な金を使う技術教育は、できればやりたくない。特に品質は、技術者だけの問題と見なされ、経営者は関心を持たない。極端な話、派遣プログラマーが自分で埋め込んだバグ(ソフトウエアの瑕疵)の摘出に時間を掛ければ、会社の実入りは増える。

 開発プロジェクトの混乱は、プログラマーにとっては徹夜が続き地獄だが、経営者にとっては収入が増えるから嬉しい。派遣プログラマーは、派遣先から右向け左向けといいようにこき使われ、精神衛生上は最悪であるが、経営者にとって、これほど安全で安易なビジネスはない。

 その一方、ソフトウエアエンジニアリングの知識に乏しいユーザーは、どのようなソフトウエアを開発したいのか、「要求仕様」が書けない。あるいは書きたがらない。取りあえず派遣プログラマーを雇って、「作っては直し」を繰り返してシステムをアドホックに仕上げていく。バグだらけなのは当然で、効率も悪いのだが、もともと効率を競う感覚に乏しいので問題にならない。かくして、ベンダー、ユーザー両者が望むので、日本にプログラマー派遣業が定着してしまった。日本のソフトウエア産業の労働力ピラミッドは、人海戦術で働く派遣要員で支えられている。

 人を月額で売買する契約の下では、仕事は単価の安い方に流れる。アジアには、日本より賃金が安い国がたくさんある。日本の派遣業の経営者は「日本語という見えないバリアがある」と安心しているようだが、そんなバリアはいとも簡単に破られる。日本人を雇えば済むからだ。

 日本に拠点を持つインドのあるソフトウエア開発会社の社員の六割は、英語ができる日本人プログラマーである。中国にもブラジルにも、日本語を操るソフトウエア技術者はたくさんいる。インターネットの普及で、インドの中国国境近くの雪が積もった山奥にも、パラボラアンテナが立ったオフィスがあり、インターネットを介し、世界各地から請け負ったソフトウエアを開発している。

 筆者は2003年に情報処理学会誌に「ソフトウエア産業にもデフレがやってくる」と題した論文を寄稿し、仕事が海外に流れることを警告したが、業界に対策の動きはなく、筆者が予見した方向に事態は推移している。

 ソフトウエア開発の仕事が奔流のように中国やインドに流れている。かつて日本が得意としてきたハードウエア製品は、最終組み立てなどを海外に外注しても、中核の技術は国内に堅持してきた。しかし、物理的なモノがなく、ほとんど人の力だけで作るソフトウエアではそうはいかない。

 発注する側がプログラミングなど、ソフト開発の最下流部分を発注しているつもりでも、受ける側に力量があれば、技術やノウハウを吸収して自らの力で設計や開発ができるようになる。逆に、発注者は技術とノウハウを維持しているつもりでも、実際にソフトウエアを開発していないと、高い品質で効率よく作る能力は急速に衰え、見積もりを正当に評価する力もなくなる。筆者の経験では、開発力の空洞化のスピードは、ハードウエアよりソフトウエアの方が格段に速い。発注者は、それを知った上で、海外のソフトウエア会社に外注しているのだろうか。

 冒頭に挙げた米国上院の「米国のソフトウエア産業の競合性」に関する公聴会で、ベラディーは、ソフトウエア産業を強くするためには、国全体の見地から対策が必要であること、ソフトウエアのレベルは国民の教育レベルの反映であり、それは国の産業全体に影響を及ぼすこと、を上院議員に説いた。インドの成功は、教育の充実と優れた人材の活用という正攻法によって達成された。

 米国は、小学校での基礎教育からITを教えている。日本はどうであろう。ソフトウエアエンジニアリングを教えている大学の数はいまだに少ないし、仮に教えてもらったとしても、学生が就職する企業側でそれを生かしていない。情報学科を卒業して大企業に入った技術者は、開発ではなく下請けへの発注業務に忙殺されている。また、IT政策を統括する省庁もない。

 ここまで述べてきたように、日本のソフトウエア産業衰退の原因は、産業構造の劣化にある。これは慢性病のようなもので、回復策は体力回復が重点でなければならず、時間が掛かる。それも、国、教育界、業界、企業、そして個人のそれぞれにおいて対策が必要である。しかも国を挙げての広範な対策が必要である。