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 今月2日,新生ライブドアがスタートした。同日付でライブドアは持ち株会社の「ライブドアホールディングス」へ移行し,同時に,インターネット事業会社の「ライブドア」を新しく設立した。

 持ち株会社の社長には旧ライブドア社長の平松庚三氏が,新生ライブドアの社長には上級執行役員メディア事業部長だった出澤剛氏がそれぞれ就任した。昨年1月に逮捕され,退任した堀江貴文・元社長の後を受け,ライブドア再建という難業を引き受けた前・弥生社長の平松氏だが,新体制への移行をやり終え,その心中は一山越えたという安堵感に包まれているのではなかろうか。

 この発表と前後して筆者は,3月末に発行された『ボクがライブドアの社長になった理由』という平松氏の著作を読む機会があった。ライブドア騒動の顛末が書かれているかと思いきや,それは最初の第1章だけで(それはそれで面白かったが),内容は平松氏の半生記であり,その経営哲学を著したものだ。

「ソニーの落ちこぼれ」であることが誇り

 平松氏は1973年米国の大学を卒業してソニーに入社し,海外事業やPC事業などに携わった後,86年に退社する。その後は,メディア企業のIDG,ISP企業のAOL,会計ソフト・ベンダーのインテュイットなど,外資系企業の社長を次々に務めた。2003年にはインテュイット本社を相手にMBO(Management Buy-Out)を行い,社名を「弥生」に改めて社長に就任。やがてライブドアの傘下に入り,2006年1月に堀江氏からライブドアの社長を任されることになる。

 外資系企業で活躍し,華麗な経歴を積み上げつつも,平松氏の「根っこ」にはソニー・スピリットが厳然と息づいていることが,本書を読むとよくわかる。多くのページをさいて,ソニー創業者の盛田昭夫氏や井深大氏とのエピソードや,ソニーの経営哲学およびマーケティング手法,ソニー人脈について繰り返し語っているからだ。

 特に,ホンダ創業者の本田宗一郎氏が,井深氏に頼まれてソニーに講演に来た時のエピソードは興味深い。本田氏が2時間にわたって,技術へのあくなき挑戦について語り,講演が終わると,ソニーの社員たちは感極まって「ホンダ」,「ホンダ」の大合唱を始めたという。最前列に陣取っていた技術者たちが壇上に駆け上がり,本田氏に握手を求めて殺到する。ホンダ・スピリットとソニー・スピリットが共振した瞬間で,もと技術系学生の端くれだった筆者には,ぞくぞくする光景だ。

 創業者から直に薫陶を受けた平松氏は,ソニーを辞めた後も,同じスピリットを持つ退職者たちを集めて「SOBA;Sony Old Boys Association」なるソニー非公認のOB会を結成する。こうした幅広い人脈がやがて,ライブドア再建において大きな役割を果たすことになる。

「必ず,ネクタイを締めて行けよな」

 2006年1月24日,堀江貴文・元社長が逮捕された翌日の夜,ライブドアは謝罪会見を開いた。この場で,平松氏の社長就任も発表されることになっていた。当初平松氏は,この会見にいつものノーネクタイ姿で出席するつもりだった。2005年の「弥生」新製品発表会で堀江氏と会見したときのようなノータイ姿が,平松氏の定番スタイルだったのである。しかし,最終的にはネクタイを着用して会見に出た。

 実は,平松氏のソニー時代の先輩で,現在ソニーマーケティング取締役の大木充氏が,「記者会見にネクタイを締めて行くように」と,平松氏に電話で再三アドバイスしたのだという。この助言が功を奏し,翌日の新聞には“Tシャツから背広へ”などという見出しが躍り,「ライブドアは変わる」という印象を世間に植えつけることに成功した。広報マンとして場数を踏んできた大木氏が,後輩の大一番を何とか応援したい一念で電話をかけたのだろう。

 平松氏が社長に就任してまず着手したのが,コーポレートガバナンスとコンプライアンスの再構築だったが,ここでもソニー時代の先輩である大塚文雄氏と真崎晃郎氏の助力を仰いでいる。両氏らの指導によって,ライブドアの新しい経営理念や倫理綱領,行動規範などが作成された。真崎氏はソニーの元専務でガバナンス委員長を務めた人物で,ライブドアの社外取締役コーポレートガバナンス委員長を務めた(現在は退任)。

 「寄ってたかってソニーの仲間たちが助けてくれた」──実務面の支援もさることながら,精神面でもソニー時代の上司や友人が,ライブドア再建を担う平松氏の大きな支えだった。

 同氏の社長就任を聞くや否や,SOBAのメンバー約160人全員が「平松氏を精神的にバックアップしよう」という支援表明を行った。SOBA以外からも,ソニーの前CEOの出井伸之氏や,ソニー出身で元アップルコンピュータ社長,旧ライブドアの創業者でもある前刀禎明氏からの声もあった。

60歳になって一番成長した

 1年前,日本のみならず海外からもバッシングを受けていたライブドアは今,体制を立て直し,新たなスタートを切った。平松氏はこの1年間を振り返り,「大変だと思ったことは,ボク自身,一度もなかった」「60歳になって一番成長した」と書いている。これを読むと,ライブドア再建という難事業が動き出したのは,平松氏の“ネアカ主義”とその人柄に引かれたソニー時代の仲間や多くの人々の支援があったからではないかと思えてくる。

 平松氏自身,ネアカを盛田氏直伝の教えであると誇らしげに語っている。「ソニーの盛田氏がどんな人だったか」と尋ねられた時,必ず盛田氏がよく言っていた次の言葉を口にするのだという。

 「経営者は,ネアカでないといけない。企業のトップに立つ者は,たとえどんなに辛く苦しい局面に立たされようと,部下の前では絶対に暗く沈んだ顔をしてはいけない。 明るいふりをしなさい」。

 ライブドアの今後に注目したい。