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顧客に「なんとかするから」と言われると,無条件に信じてしまうもの。だが,経営方針の転換や人事異動といったリスクを十分に考慮しないと,後になって裏切られることがある。ビジネスに「そう言ったはず」は通用しない。

イラスト 野村 タケオ

 Aさん(33歳)は,システム・インテグレータのT社に入社して9年になる中堅エンジニア。これまで,製造業のシステムを中心に十数件の開発プロジェクトに参加してきた。

 そのAさんが現在手がけているのが,S社の新・会計システムである。携帯電話用の電子部品を製造する中堅メーカーである同社は2003年7月から,会計システムの大幅修正に着手した。組織変更に合わせてコード体系を修正するとともに,四半期決算への移行にともなう機能を追加するという,かなり大掛かりな計画である。新システムの稼働時期は,2004年4月に決まっていた。

 このプロジェクトでAさんは,エンジニア数人を率いるリーダー役を命じられた。初めての大役に緊張しながらも,「将来のキャリア・パスを考えると,ここで大きな失敗は許されない。絶対に成功させるぞ」と意気込んでいた。

 ユーザーへのヒアリング,要件定義,システム設計とプロジェクトはスムーズに進み,開発作業にはほぼ予定通り着手できた。しかし,そこからが難航した。ユーザーからの仕様変更が頻発し,開発の手戻りが予想以上に多く発生してしまったのだ。テスト環境も十分でないため,すでに出来上がったプログラムの検証作業も順番待ちの状態だった。

 スケジュールに遅れが目立ち始めたのは,プロジェクト開始から3カ月が経った10月初旬だった。「このままでは稼働時期がずれ込む」とあせったAさんは,S社でIT部門を率いるN課長に相談した。すると思いがけず,N課長はテスト用マシンの早期導入を提案してくれた。「そんなにスケジュールが厳しいのなら,来年2月からリース予定のテスト用マシンを前倒しで入れたらどうかね。費用は,来年1月からの新年度に入ったらすぐに支払う」。

 N課長の言葉に,Aさんは「ありがとうございます。マシンの導入時期が早まる分,リース料金は増えますが,システムを予定通りに稼働できるメリットの方が大きいはずです」と声を弾ませた。N課長は,大きくうなずいた。こうしてAさんが発注したテスト用マシンは,11月末に無事納入された。

人事異動で方針が180度転換

 Aさんにとって,計算外の事態が起きたのは12月半ばのこと。S社は新年度を前に,大幅な人事異動を内示した。長年にわたってシステム部門で活躍していたN課長が異動になり,後任には業務管理部門からI課長が就くことになった。これまで,システムを利用する立場だったI課長は,ITの専門的な知識や経験は持ちあわせていない。

 S社のシステム担当者や協力会社のメンバーは当初,この人事に面食らった。だが,内示を受けてさっそく挨拶に来たI課長の「いままでの路線にはこだわらず,当社が現在置かれている実情を十分考慮して,仕事をしていきたい」という言葉を聞き,その意図を悟った。「システム・コストの削減が狙いだ」。

 実は近年,S社は売上げこそ拡大していたが,年々強まるメーカーからの値下げ要求により,利益は減少していた。このため,経費削減が大きな経営課題になっていた。今回,システムの開発や運用管理に多額の予算を計上しているIT部門が,いよいよ見直しの対象になったというわけだ。

 I課長は2004年1月の着任を控えた年末,前任課長との引継ぎ作業もそこそこに,新しい部下から社内システムの現状や日頃の悩みなどを徹底してヒアリングした。進行中の開発プロジェクトに関する書類にも,精力的に目を通した。

 間もなく,会計システム修正プロジェクトで,システム・テスト用のマシンを前倒しで導入したことがI課長の知るところとなった。I課長は,「一体,誰が仕組んだんだ。最初に契約した期間外のリース料金は払わないぞ!」と息巻いた。次年度の予算で導入する予定のものを,予算が確定していない時期に見切り発注していたことを問題にしたのである。

費用を肩代わりする羽目に

 I課長は年明け早々,ベンダー側の責任者であるAさんを呼び出し,事の経緯を問いただした。Aさんは懸命に,前任のN課長とは話がついていたことを説明した。だがI課長は,「そちらからの提案書によれば,システム・テストに使うマシンは2004年2月にリースを開始することになっている。それを3カ月も前に設置したのはどういうことだ。当社が正式に承認した内容を勝手に変更するとは,ルール違反ではないのか。こんないい加減で馴れ合いの契約は,破棄するしかない」と一歩も引かない。

 正式な契約書がない以上,明らかにI課長に分があった。Aさんは,その場に立ち尽くすしかなかった。頭の中では,システム開発を予定通りに完遂したい一心から,テスト用マシンの前倒し導入をN課長と決めた場面を思い出していた。Aさんは,「N課長は社内でもやり手だ。彼の言うことに限って間違いは起きないだろう」と思い,S社の正式な承認を取らなかった。それが今,命取りになりかけている。

 さらに,よく思い出してみるとあの時,T社の営業担当者であるK君は前倒し導入に反対していた。後で理由を尋ねると,「S社の体制に近いうち,何か大きな変化がありそうなんだ」と言っていた。当時は「N課長のOKを取ったんだから」と一笑に付したが,まさか当のN課長が現場を離れてしまうとは。人間関係だけをよりどころにした軽はずみな判断が,思わぬリスクを呼び込んでしまった。

 I課長のあの剣幕では,前倒し分のリース料金をそのまま請求するわけにはいくまい。最悪の場合,T社がかぶらなければならないだろう。「せっかく任されたプロジェクトで,不要な損失を出してしまうとは…」。Aさんは,悔やんでも悔やみきれなかった。

今回の教訓
・顧客と人・モノ・金にまつわることを折衝する時は,必ず正式な手続きを踏む
・「これは」と思う問題は,周囲の意見を慎重に聞く
・人や環境も変われば,物事の価値判断も変わる

岩井 孝夫 クレストコンサルティング
1964年,中央大学商学部卒。コンピュータ・メーカーを経て89年にクレストコンサルティングを設立。現在,代表取締役社長。経営や業務とかい離しない情報システムを構築するためのコンサルティングを担当。takao.iwai@crest-con.co.jp