PR

 今回もまた、読者から送られてきたお便りを公開する。この方は、ITproのWatcher欄に、「SEは中流を目指せ!」という連載を持っている、戸並隆氏である。同氏はいわゆる団塊の世代に属する。筆者が2007年問題を書いた時、長文のメールを送ってこられた。古きよき時代のシステム開発現場の“のり”を体感できる文章なので、ご紹介する。


 2006年から日本人口は減少し始めました。また、我々団塊の世代もリタイアし始め、労働人口も大きく減少していきます。団塊の世代には、高度成長時代の右肩上がりのイケイケドンドンの成功体験がジレンマになっているマイナスの面もありますが、日本の情報システム黎明期から深くかかわって来て、何も無い所から、独創力を発揮し、日本を支える情報システムを構築してきた優秀な人も多いです。

 ただし、優秀と言ってもどちらかと言うと属人的で、暗黙知の塊と言えます。ノウハウの多くがドキュメントとして残されているとしても、形式知化できない本当のノウハウは個人個人の頭の中にあります。私の昔の体験を述べ、団塊世代の優秀な開発者たちがどのようであったかを紹介します。

 私はあるトヨタ系の販売会社に就職し、入社後4~5年後、世界初めてのトヨタ販売店サービス業務のオンライン化プロジェクトに参画しました。プロジェクトチームは合計8人。システム担当者が3人、上司の係長と私とプログラマーです。サービス部の担当者が2人、富士通のSEが3人でした。

 インプリンテングと言って最初に動くものをオヤドリと見做す鳥の習性で、その係長が生意気な私にとって生涯唯一の上司です。1年に1回程度今でも会っています。彼はとても優秀で、役員になり、昨年、退任しました。私を含む彼の元部下7~8人と一緒に今年新年会をしたのですが、酒が入るといっそう生意気になる私が、彼の前では最後まで正座をしていたそうです。

 その係長と、富士通から来たSEのうち2名は早口の三河弁でした。同じ富士通なのに、東京から来ていたもう一人のSEは、彼らの会話が全く分からないという状況でした。

 プロジェクトリーダーであるその係長がシステムの仕様を全部決めました。なにしろ初めてのオンライン化です。一体どのように現状業務をオンライン化するか、誰も知りません。彼の創造力は抜群でした。仕様と言っても今で言ったら、基準や概要の類です。なんとアプリケーション仕様書はメモ1枚でした。これで実際のシステムを設計して作れ、というのです。メモを渡された時、「なんじゃこれは」という気持ちが顔に出たのでしょう。係長は、「ずっと会議に出ていたのだから、これで分かる」と一言。間抜けた質問はできません。

 そのプロジェクトでは本当に鍛えられました。私が生意気なことばかり言っている自信はこの時につけたものです。私が作ったメインジョブの売上伝票(精算)処理プログラムの規模は1万ステップ。さすがにこれについては、10枚程度の仕様書を別途作りました。といっても、取引の基準と会計仕訳のやり方もどきが書いてあるだけです。

 バッチ関係の一切合切は私が設計しましたから、オンライン処理部分とバッチ処理部分の切り分けは私の勝手な判断でやりました。業務の詳細が完全に見えていた訳ではなく、係長やサービス部の担当者に、何回となく「こうだよね?」と聞いた覚えがあります。

 富士通のSEがまた飛び抜けて優秀でした。「こんなツールが欲しい」というと黙って聞いていて、1週間後に我々の要望を超えた素晴らしいツールを持ってきました。富士通はリカバリー(障害時の復旧)の仕組みの担当です。瞬時に復旧するトランザクションリカバリーがまだ無い時代です。オンラインがこけたら、データを入れておくファイルを朝一番の状態に戻し、そこからその日の処理をもう一度していって、障害直前の状態にまで復元します。この仕組みを富士通に作ってもらいました。

 一度障害が起きると、なんと30分間もリカバリーにかかります。利用者が怒るだろうから、“ゴメンナサイキャラクター”を画面に出すことにしました。苦労の末、システムが完成し、営業拠点に順次導入していったのですが、ある日、訪問したすべての拠点で、ゴメンナサイキャラーが出ていた時があり、これには参りました。