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 読者から送られてきたご意見を紹介し、応答文を付記する。


経営陣の理解に尽きる
 この業界に入って10数年の中堅SE(システムズ・エンジニア)です。先輩方が資料を残さなかったのは、ほとんどの場合、「残せなかった」ということだと思います。価値があるのは資料では無くシステムそのもの、資料の資産的価値は低い。これが一般的な認識でしょう。精度の高い資料を残す事に、工数・工期を掛ける事はできないというのが現実かと思います。
 昔も今も変わりません。システム開発においては、仕様策定から運用開始(資料完成)に至るまで、職人的な仕事が多々あるのですが、職人の技が評価がされない現状が続く限り、問題は解決されずじまいでしょう。
 結局、ブラックボックスになってしまったシステムを改造あるいは再構築するには、「ブラックボックスになっているソースプログラムを一から追いかけ、そうした仕様にした経緯を大量の議事録などからまとめ上げる」という、極めて泥臭い仕事をするしかありません。この仕事と、そこから得られる成果物にどれほどの価値があるのかを、経営陣が理解し、時間とお金を掛ける。2007年問題を解決できるかどうかは、この一点に尽きると思います。

 その通りであるが、それには経営者にこの仕事の価値を分かってもらう必要がある。一体どのように説明するとよいのだろうか。筆者はあまり関心がないが、IT産業をあげて盛り上げようとしている「内部統制」というテーマと絡めて説得すればよいのだろうか。


団塊世代が最後まで面倒をみる
 2007年問題という表現に込められた主旨は良く分かります。私自身まもなく定年を迎えるレガシー・システムを担当する当事者だからです。私の答えは「引退する経験者を使え」です。気力も体力もあり、システムのノウハウを十分に備え、高度成長時代から走りまくって気がついたら定年が近づき、さてどうしようと思っている管理者はいるはずです。
 彼らは、最近のオープン化の波には逆らえず、消化不良ながらも、やれWebだリナックスだといった案件を、管理職として若手にやらせてきました。しかし本音はまだ自信があるCOBOLやPL/Iを駆使する仕事で自分の存在感を示したい、給料は若干下がっても職場が確保でき、周りに認められてやりがいもあるとなればいい。こういったことではないでしょうか。

 すべての人に対し一律に定年を延長するのはどうかと思うが、といってまだまだ仕事ができるし、やりたがっている人から仕事を取り上げるのもおかしなことだ。ただ、退職後に、古巣と契約をして仕事をしようとしても、その体制が古巣にないことも多い。ITの世界に限らず、個人と企業の関わり方を見直す時期が来ている。


明日死んでもいいように仕事をする
 自分が明日死んでもよいように仕事をしています。成果は週単位ではなく、日単位で出します。実際は分単位で記録をとっています。ドキュメントには、そのシステムの開発コンセプトやポリシー、そのような仕様になった経緯といった基礎的情報を盛り込みます。
 作成するシステムの情報は必ず共有します。自分だけで持ちません。ノウハウの共有により他の人から出し抜かれても構いません。既得権益はなるべく守りません。外資系企業に所属しているわけではありませんが、「明日レイオフされるかもしれない」という危機感を持っており、以上のことを日々実践するように心がけています。

 2007年問題とは別に、「明日死んでもよいように仕事をしているか」とは、難しい問いである。正直言って、筆者の仕事を誰かがすぐ引き継げるかというと、不可能である。原稿を書くというのは個人芸のところがあるからやむを得ないとはいえ、今何をしているかという基本的な情報をまとめ、公開しておく必要があるかもしれない。


(応答文:谷島 宣之=「経営とIT」編集長)