PR

 取材が始まってからすでに2時間、予定していた終了時刻をとうに過ぎたものの、その熱い語りは一向に収まらない。魅力溢れる言葉の海にこのまま浸っていたかったが、こちらも次の取材予定があり、後ろ髪を引かれる思いで取材を打ち切った---。

 「これほどまでに人を引きつけるサラリーマン社長がいたのか」。

 2001年の冬、当時カゴメの社長だった伊藤正嗣氏に初めて取材した。その強烈な印象は今でも鮮明に残っている。業績が頭打ちだったカゴメを成長企業に再生できたのは、伊藤氏の人間性あってこそだと認識したものだ。

創業家とは無関係、初のサラリーマン社長

 伊藤氏がカゴメの社長に就任したのは1996年6月のことであった。創業家出身の社長が五代にわたって続いていたカゴメにとって、初のサラリーマン社長だった。伊藤氏は入社早々から頭角を現し、「サラリーマン社長が出るなら伊藤」とかねてより見られていた。若かりし日のエピソードを聞くとそれもそのはずと納得できた。

 30歳の時、発見がもう少し遅れたら手遅れ、という大病を患った。生死の崖っぷちに立った経験から、「志通りに行動する」ことへの抵抗が無くなったという。大病から復帰後、伊藤氏はまっしぐらにカゴメの経営刷新に動く。「資本と経営を分離し、地方の同族経営から脱却する。そうしなければカゴメの発展はない」---。

 「経営刷新はカゴメのため」という志を具現化するため、伊藤氏は労働組合の結成に乗り出す。当時、採用が始まったばかりの大卒者を中心に労組を結成、社員の賛同を取り付けて、初代の労組委員長に就任した。委員長となった伊藤氏は早速、二代目の創業家社長と交渉に入った。

 社長室に入るや開口一番、同族経営からの脱却、株式公開、本社の東京移転、という要求を一気に突きつけた。自分の信念を真っ直ぐ貫く、下手な妥協はしない、という伊藤氏ならでは発言と言える。

 たいていの二代目社長なら、社員にこんなことを言われれば烈火のごとく怒るところだが、そうはならなかった。伊藤氏が、憎まれない外交家とでもいうべき人柄だったからだ。伊藤委員長に真っ向から問題を突きつけられた二代目のオーナー社長と、伊藤委員長の間で、次のようなやりとりがあった。

「伊藤君、同族経営のどこが悪いのかね」。
「はっきり申し上げて、カゴメの経営トップは金があっても頭の悪い人ばかりに見えます。そういう人が資本家になるのかやむを得ませんが、経営者になってはいけません」。
「さしずめ俺はその頭目か」
「まあ、そんなところです」

 伊藤氏のあまりの素直な応答に二代目社長は笑い出し、その後も社長室には笑い声がこだました。伊藤氏の人柄が偲ばれる逸話である。こうしてカゴメ労組の活動は無事始まった。

 伊藤青年の“蜂起”から数年後の1976年、カゴメは東京証券取引所と名古屋証券取引所に上場した。経営近代化に向けた動きが始まったわけだが、同族経営は続いた。さらなる転機は1980年代後半に訪れた。カゴメの業績は伸び悩み、当時の経営陣は必死に打開策を模索したが、決定打を出せないままにいた。その低迷状況を打破する役割を期待され、ついに伊藤氏は初のサラリーマン社長に就任した。