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 尾関雅則氏は我が国の情報化を牽引したリーダーの一人である。国鉄時代には本格的なプロジェクトチームを作り、大型コンピューターを使って、みどりの窓口の座席予約オンラインシステムを開発、1973年1月に完成させた。日立製作所の常務に転じてから、パソコンなどオフィス製品事業の責任者となり、87年には国鉄の民営化によって作られた鉄道総合技術研究所の初代理事長に就任した。2007年現在も、IT関連の勉強会などに顔を出し、発言や質問をされている。

 その尾関氏は10年前、73歳の時に「オゼのホームページ」を開設、情報化やプロジェクトに関するエッセイを執筆した。今回、本サイト上に、オゼのホームページを復刻する。10年前の論考であっても経営とITに関わる本質的な意見が綴られている。


技術の進歩と人口の変化

 リースマンの「孤独な群集」という著書によると、国家のような一定の文化を持つ地域の産業構造は、技術の進歩によって、限られた面積の上でより多くの人口を支えることが出来るようになると、ほぼ六、七十年の間に爆発的に人口が増加すると言われています。この現象が所謂経済のテークオフです。

一次産業から二次産業、さらに脱産業時代へ

 伝統指向的な、第一次産業社会から 内部指向的でストイックな人々によって、第二次産業が勃興し急速に人口とGNPが増加するにいたったとされています。

 さらに、脱産業化時代に達し、人口の増加は飽和し、人々のマインドは 他人指向的に変化してゆくと言われています。この様子をリースマンは航海にたとえて、北極星を眺めて舵を取る天測航法から、羅針盤による航法へ、更にはレーダーによる航海術にたとえております。

 一定の始終業時間に全員が従う現代の学校制度も、元はといえば、第二次産業の中核であり分業体制を基盤とする工場の勤務を想定した、学校の体制だというのです。

 これに対して、第一次産業時代の教育体制は寺子屋などで師匠によって行われており、授業時間はで不定で弟子の方の都合にあわせていたのです。

 更に、ソフトが主役になる脱産業時代には、どんな教育体制に変化してゆくのでしょうか。少なくとも、現在の学校の姿は大きく変化してゆくでしょう。その兆候は先端的な大学などで、実験的にはじめられているようです。

(オリジナルは1998年11月18日公開)