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本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なりますが、この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

電子商取引に取り組む際,経営トップによる明確かつ大胆な意思決定が欠かせない。だが,先読みの難しさなどにより,経営トップの意思決定はにぶりがちだ。その結果,取り組みが中途半端に終わることが多い。これを防ぐには,経営トップに説得力のある判断材料を示す必要がある。先進企業の実態を直接聞き出して学ぶ「ベンチマーキング」は,その有力な手段となる。

野間 彰

 エレクトロニック・コマース(電子商取引)への取り組みを成功させるために最も重要な要件は,「経営トップの明確かつ大胆な意思決定」である。従来の事業構造や対外的なしがらみを根本から見直し,新たなビジョンにしたがってビジネス・モデルや情報システムを再構築することが求められるからだ。

 それだけに経営トップの強い意思なくして実現することはできない。本稿は,経営トップに明確かつ大胆な意思決定を促すための方法論として,「ベンチマーキング」を提唱する。ベンチマーキングとは,先進企業の優れた業務プロセス,情報システムなどを詳しく調べ,自社のそれらと比較しながら,問題点と解決への糸口を見つけ出す手法である。

 ベンチマーキングは,学びたいテーマに該当する先進企業を直接訪問し,お互いの業務プロセスや情報システムの仕組みを見せ合うことから始まる。この過程で,経営トップの意思決定を促すための判断材料を収集することができる。例えば,他社がある理由・方法によって電子商取引への取り組みを始めたという「事実」を詳細に調べれば,それは自社の電子商取引計画の補強材料や裏付けになる。

チャネル改革に消極的な経営トップ

 経営トップの明確な意思決定が得られず,電子商取引への取り組みに重大な支障が生じた大手電機メーカーA社の例を紹介する。

 A社の経営企画部門は,従来の販売チャネルとは別に,電子商取引による消費者への直接販売を計画していた。大手量販店経由の販売は年々増加しているが厳しい値引きを要求され,価格決定の主導権を握れないからだ。A社は自社系列の販売店網を持っているものの,その販売力は弱く,高コスト体質だった。こうした状況を脱却するためには,電子商取引による直接販売が不可欠と経営企画部門は考えた。

 しかし,A社の担当者は大きな悩みを抱えていた。電子商取引に本腰を入れると当然のことながら,これまで一緒に成長してきた自社系列の販売店や大手量販店から反発を食う可能性が大きい。実際,既存の販売チャネルを統括する販売部門は,各チャネルとのしがらみや自らの組織を防衛するため,積極的に協力しようとしない。

 販売チャネルの現状を熟知している経営トップも,同じような態度を示していた。経営企画部門が経営トップに,「マーケティングや営業を知り尽くした有能な人材をプロジェクトにアサインするよう,販売部門に命じてほしい」と進言しても,経営トップは「現場で話し合って解決しろ」という答えを返すばかりだった。

 もし,経営トップが,「2年後には売上高の30%を,3年後には50%を電子商取引経由にする。そのために既存の販売チャネルの整理も辞さない」という明確な意思決定をしていたとしたら,A社の電子商取引への取り組み方はどう変わっていただろうか。成功に必要なリソース(人材,資金)や販売部門の支援が十分に得られたのではないだろうか。

 このような場合,経営トップの確固たる意思決定を促すためには,電子商取引を成功させる「論理」とともに,それを裏付ける「事実」を示す必要がある。

 事実の裏付けがないとどうなるか。「リスクを取らないことがリスクなのです」などという一般論(論理)を振りかざしても,経営トップは動かない。経営トップは,論理の背景となっている事実こそが重要と考えているからだ。意思決定を誤れば,企業は危機に直面するかもしれない。そのリスクを肌で感じているからこそ,経営トップは事実にこだわり,事実を自ら意味解釈した上で意思決定したいと考える。

 だれかがテレビで言っていたこと,2000円の本に書いてあったこと,企画担当者が一夜のうちに思いついたことだけで,安直に意思決定する経営トップなどいない。電子商取引の企画担当者は,これを頭に入れておくべきだ。

ベンチマーキングで経営者を説得

 ベンチマーキングは,電子商取引の企画において説得力のある事実を獲得し,経営トップに示す手段として非常に有効である。

 ベンチマーキングによって,どのような成果を上げられるのか。先に示した電機メーカーA社では,事業構造(既存チャネルと電子商取引の収益比率)を刷新する計画も,有能な人材を再配置することも明確に決定されていなかった。しかし,A社の経営企画部門は電子商取引が将来は自社の事業を支える柱となると信じている。

 このまま確固たる意思決定がなされなければ,そのような意思決定を既に下している企業に新しいチャネルを押さえられてしまう。そこでA社の経営企画部門は,事業構造を転換するという意思決定が必須(ひっす)であると考え,電子商取引で先行しているB社に対してベンチマーキングを依頼し,B社の協力のもとで実施した。

 ベンチマーキングの結果,B社は電子商取引を中核とした全社戦略を実行していることが分かった。B社の戦略は次のようなものだった。カスタムメイドに近い商品販売を売りものとしたWebサイトを構築し,消費者から直接注文を受ける電子商取引チャネルを確立する。その後,量販店などの外部チャネルを排除し,厳しい価格低減要請を回避し,妥当な価格で販売することで利益額を増大させる。自社系列チャネルに関しては,リストラを断行し,強い店にリソースを傾注する。

 B社が最も重要視していたのは,チャネル構造,すなわち販売まで含めたサプライチェーンの再構築だった。B社は経営トップがこの戦略を決定していたので,既存チャネルを温存させたいという社内の反対を押し切り,電子商取引の拡大に向けて思い切ったリソース配分をしていた。

 また受注から製造,さらに資材メーカーも含めたサプライチェーン管理システムの構築が必須になるので,営業やマーケティング部門のみならず,サプライチェーンにかかわるすべての部門が参加する,大規模なプロジェクト体制で電子商取引を推進していた。

 一方,大手量販店がB社に対抗するため,独自の電子商取引を強化する動きを見せていることも分かった。電子商取引という新しい市場を獲得するために,激しい争奪戦が始まっていたわけだ。

 このように切迫した経営環境を「事実」として押さえることができたため,A社の企画担当者は「電子商取引を事業構造転換の柱と位置付ける意思決定」,「そのために有能な人材を,電子商取引構築に投入する意思決定」を,経営トップに求めることができた。A社の経営トップが提示された事実を吟味し,的確な意思決定を下したことは言うまでもない。