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 消費者金融の最大手、武富士を一代で築いた武井保雄氏と話したことはないが、歩いている武井氏を見たことは一度だけある。あるパーティに出席した時、会場で知り合いの人が「あれが武井さんですよ」と教えてくれた。思ったより小柄で、ごくごく普通の老人という印象だった。一点だけ変わっていたのは武井氏のすぐ後に、武富士社員とおぼしき人達が5,6人続いていたことくらいであった。それから数年経った2003年,武井氏は盗聴事件を起こし逮捕されてしまう。2004年には有罪判決を受け、2006年8月10日亡くなった。

 毀誉褒貶というが今となっては武井氏の「誉」を称える人は少ないだろう。しかし良くも悪くも一代であれだけの企業を創った人物から何も学べないはずがない。というわけで2003年12月8日、日経ビジネスExpress(現・日経ビジネスオンライン)に寄稿した「逮捕された武富士の武井会長からもらったメッセージ」というコラムを再掲する。記事題名通り,逮捕を受けてから書いたものである。
                      (谷島 宣之=経営とITサイト編集長)

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「谷島さんの書かれた記事に関して、オーナーの意見を言づかってきましたのでお伝えします」。今から7年前の1996年11月、東京・新宿にある武富士の本社に筆者は呼び出された。その場に現れた同社の取締役情報システム部長は開口一番、こう言った。オーナーとは、先頃、盗聴指示の疑いで逮捕された武井保雄会長のことである。

 武富士本社に行く羽目になったのは、筆者が書いた武富士に関する記事に対して抗議が来たからである。1996年当時、武富士は基幹情報システムの全面再構築プロジェクトを進めており、システム開発をある大手のシステムインテグレーターに一括発注していた。筆者は複数のニュースソースから、開発プロジェクトが難航していることと、そのインテグレーターに加えて別なインテグレーターがプロジェクト立て直しのために参画することを聞き出し、記事として報じた。

 記事が出た後、開発を請け負っていたインテグレーターから抗議が来た。訂正の要求を筆者が拒否したところ、そのインテグレーターが武富士に相談し、武富士のプロジェクト責任者である取締役が筆者に経緯を改めて説明してくれることになった。その取締役は会議室に入ってくるなり、背広のポケットから紙を取り出し、武井会長のメッセージを読み上げたのである。

 家捜ししたところ7年前の取材メモが出てきたので、それを見ながら、武井会長の筆者宛メッセージを再現してみよう。インテグレーター名は伏せておく。

 「今回の基幹系システム再構築に当たって、私(武井会長)が頼んだのは、○○○(インテグレーターの企業名)の××さん(インテグレーターのオーナー名)です。ご指摘のように、△△△(後から加わったインテグレーター名)が参画したのは事実ですが、プロジェクトの軸は当初の通り、○○○にあり、彼らが責任を持って取り組んでいます。△△△にイニシアティブはありません。谷島さんは一部を請け負った△△△が全部引き継ぐと勘違いされたのではないでしょうか。××さんも、△△△の社長も、私と同様のことをおっしゃるはずです」

 武富士の取締役は紙を読み終わると、それを折り畳んでポケットにしまい、筆者の方を見てこう言った。「ということでありますから、よろしくお含み置きください」。