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 「思えば長かった」というのが一番最初に思ったことである。1989年に当時の「第二種情報処理技術者試験」に合格して以来18年。私は2007年秋の「テクニカルエンジニア(ネットワーク)試験」合格で,悲願の“情報処理技術者試験完全制覇”を達成することができた*。

*取得したのは現行14区分。「基本情報技術者試験」は旧二種,「ソフトウェア開発技術者試験」は旧一種,「テクニカルエンジニア(データベース)試験」は「データベーススペシャリスト試験」で代用。

 この間,私の情報処理技術者試験の通算成績は“14勝6敗”である。この中から,既になくなった試験区分である「プロダクションエンジニア試験」不合格を除いた5敗について,不合格理由を考えてみることにしたい。

不合格1:論文の書き方知らず アプリケーションエンジニア

 1994年に情報処理技術者試験の制度が大幅に変更になった翌年,私は「アプリケーションエンジニア試験」を受けてみることにした。旧二種,旧一種の時には会社の社内教育をベースに合格したこともあり,特別の準備をせずに受験。結果は当然のことながら不合格だった。その時点では「まあ,いいや」と不合格の理由も考えず,「翌年にリベンジする」という気持ちも薄かったのだが,学生時代からの友人(同じ会社に入社していた)が合格したと聞き,「もう一度受けてみるか」という気になった。

 翌年の96年,たまたま自分の会社が情報処理技術者試験の模擬試験費用を負担してくれることになったので,「自分の解答にどんな点数がつくものか」と,アプリケーションエンジニアの模擬試験を受けてみることにした。小手調べにと思って受けた模擬試験だが,戻ってきた論文のアドバイスを見て驚いた。点数そのものはそれ程悪いと言うわけではないのだが,論文の書式についてのポイントが書かれたチェックシートが付いていたのだ。

 95年に初めてアプリケーションエンジニア試験を受験したときは,私はまさに「論文の書き方知らず」だった。仕事がいわゆるSEであったため,「自分の経験を書けば何とかなるだろう」と思っていたのだが,内容はともかく形式が全くなっていなかったのである。章立てやタイトルも満足に書かれていない私の論文を採点した人はさぞかし困ったことだろう。とにかく,論文の表記上の注意点を覚え,論文の構成を整理することを心がけた結果,96年のアプリケーションエンジニア試験には合格することができた。

不合格2:試験の対象者像知らず 上級システムアドミニストレータ

 仕事で常駐している会社のお客さまが,昼休みに「上級システムアドミニストレータ試験」の問題集に向っているのを見て,「よし,この人がどんな勉強をしているのか知ってやろう」と思いたった私は,2000年に上級システムアドミニストレータ試験を受験することにした。

 この試験の対象が“利用者側”であることは把握していたので,その立場になりきれるものかどうか,まずは模擬試験を受けることにした。しかし,論文の評価は芳しくなかった。

 そのときの論文の内容は,「出題の趣旨に沿っていない」の一言に尽きる。私はこの時点でSE10年選手。いかに利用者側の立場に立とうと思っても,限られた試験時間の中ではどうしても“育ち”が出てしまう。

 もう一つの大きな問題点は,経営的視点が全くないことだった。一生懸命,SE寄りにずれた立場から,業務効率を向上させるための工夫を書き連ねる。これでは,合格できないのも当然だった。

 これを打破することができたのは,2000年と2001年に不合格になった後の3回目の模擬試験であった。この時,なぜか私は,システム導入による業務効率化の話でスタートしたものの,その効率化により生み出した時間を新たな営業活動に振り向けるという「作り話」を書いてしまったのだ。

 書いた時点では,自分としては「夢みたいなことを書いてしまった。上滑りしているな」と思っていたのだが,その論文が非常な高評価(全国1位であった)を受けたのである。その結果を見て「なるほど,上級システムアドミニストレータというのはそういう立場の人だったのか」ということに,やっと気がついたわけだ。

 2002年の上級システムアドミニストレータ試験では,模擬試験と同じような内容の論文を書き,合格することができた。これ以降,私はいわゆる試験勉強だけではなく,試験対象者像の把握に時間を使うようになった。その結果,「テクニカルエンジニア(システム管理)試験」,「プロジェクトマネージャ試験」,「システム監査技術者試験」と論文試験を連戦連勝。私の試験合格方法論とでも言うべきものが完成した気になっていたのである。