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人が気付かないことを、何か問題が起きる前に教えてくれる。こんなシステムを実現するには、人間がどのような行動を採るのか、どの程度の頻度で行動するか、行動が社会にどんな影響をもたらすかまでをシステムが把握しておく必要がある。ほぼ1年前に、こういったテーマを含め日経コンピュータが25年先の情報システムがどうなるかを見据えた特集を企画した。本日もこの特集を公開する。当時指摘した内容は今も変わっていない。

行動に関するデータを自動で計測

 ATR知識科学研究所は、看護師の行動履歴を自動で収集し、そのデータを医療ミスの防止に役立てる研究を進めている。「看護師の仕事は少しのミスが人の生死に直結しかねず、常に緊張を強いられる。それをITの力で少しでも緩和させたい」と、小暮潔 知識科学研究所長は語る。

 例えば、看護師の普段の行動パターンや体の動作をセンサーで記録しておき、通常とは異なる動作をしたときや、ミスしやすい作業を始めようとしたときに注意を促す、といったシステムを目指している。「2031年頃には実現できるのでは、とみている」(小暮所長)。

 現在は、看護師の動作や行動を記録する実験を進めている。昨年12月から、大阪の関西電力病院で実証実験を開始。取得した実データを基に、ミスが生じやすい行動パターンを調べたり、ベテランの作業の仕方とどう違うのか、などを分析していく。

 この実証実験では、看護師の腕や背中にセンサーを付け、行動パターンやそのときの心拍数、脈拍などを計測する(図7)。重力加速度センサーで、縦、横、高さの3方向の動きを感知。その時点でどんな作業をしているかを把握する。髪止めに付けたセンサーで、どの看護師がどの部屋にいるかも分かる。同様の仕組みが、将来、企業にも導入されるかもしれない。次世代のオフィスのあり方を研究している、リコーの塩田玲樹 研究開発本部オフィスシステム開発プロジェクトリーダーは、「誰がいつ、どの場所にいたかの記録、会議の音声記録、その日の気温、湿度など、あらゆるデータを自動で蓄積する仕組みが必要になるだろう」と予測する。「何に使うか分からないデータでもとりあえず蓄積しておけば、必要になったときに検索して利用できる」(同)。

図7●看護師の動作や行動を自動で記録する
図7●看護師の動作や行動を自動で記録する
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“やらなくても分かる”を可能に

 社会で発生する「思いもよらない事態」を事前に把握するために、限りなく現実に近い状況をコンピュータ上で再現する――。東京工業大学の出口弘教授らは、こうした目的で「エージェントベース社会システム科学」の研究を進めている。

 エージェントベース社会システム科学の狙いは、ITによるシミュレーションで意思決定を支援する仕組みを確立すること。「これまでのシミュレーションでは、実社会をそのまま再現することはできないという前提から、現状を数理モデルで抽象化していた。エージェントベースでは、その発想を転換し、実社会をコンピュータ上でそのまま再現しようとしている」(出口教授)。

 エージェントベース社会システム科学で実施するシミュレーションでは、人間一人ひとりをコンピュータ上に「エージェント」として再現する。エージェントが自己の判断で行動したときに全体の状況がどう変化するかを見る。すでに伝染病の感染や株式市場の変化などのシミュレーションに使っている。

 これまでのシミュレーションでは、感染の割合や市場の変化に関する数理モデルをあらかじめ作成して、将来を予測していた。これに対しエージェントベースでは、数理モデルは基礎データとして使用するだけ。シミュレーションの結果は、各エージェントの“判断”によって変わる。

 すると、予想していなかった挙動を取るエージェントが現れることもある。それによって、数理モデルだけを使ったシミュレーションでは見えてこない現象を説明できる可能性が出てくるわけだ。「株価をエージェントベースでシミュレーションした結果を経済学者に見せたら、『こんな動きは実際にはあり得ない』と言われた。しかし、去年ジェイコム株の誤発注によって同じような変化が現実に起きた」(出口教授と一緒に研究を進めている、東工大の寺野隆雄教授)。

 ただし、エージェントベースによるシミュレーションの結果を鵜呑みにすればよいわけではない。「そういうこともあり得るという気付きを人間に与えることが重要。最終的には人間が判断する」(出口教授)。

 今後数年で目指しているのは、1000万のエージェントを使い、現実と同じ規模の都市を再現することである。その数のエージェントが判断を下せるようにするために、出口教授たちは自らプログラミング言語まで開発した。開発した言語は、グリッド・コンピューティングを適用しやすくしてある。現状では、30万エージェントのシミュレーションが可能という。

タンパク質を使って通信できる!?

 人に優しいシステムを目指すには、従来の枠を超えた発想が大切になる。それに挑んでいるのが、NICTの未来ICT研究センターである。

 人に優しいシステムでは、これまで以上に多種多様なデータをやり取りする必要がある。そのため、ネットワーク上に流れるデータは膨大になり、しかもリアルタイムのやり取りが不可欠になる。しかし、電磁的な信号を利用して情報を伝達する現在の通信方式では、高速化や大容量化の限界に、いずれ到達する。

 未来ICT研究センターは、そうした限界に達する前に、新たな通信技術を開発しようとしている。それが「分子通信」である。人間の体の中では、タンパク質のような分子を受け取り、生化学反応を発生させることで、情報を伝達している。分子通信は、この仕組みを応用するもの。益子信郎 未来ICT研究センター長は、「細胞内の情報伝達と同じように、ある分子を送信することで、受信側が生化学反応を起こすようにすれば、ほんのわずかな量の分子で膨大な情報を伝送できるようになる」と、分子通信の可能性について説明する。

 現在、大容量のデータを送る際には、データ圧縮をするのが一般的だ。分子通信が実現すれば、こうしたデータ圧縮は不要となるという。ある小さな分子を送るだけで、化学変化を発生させ、瞬時に大容量のデータを伝達できるからだ。

 ただし、「20年や30年では実用化できないかもしれない」(益子センター長)。それでも益子センター長は、「現在のままでは限界が近いのも事実。未来の通信を実現するためには、ブレークスルーを起こさなければならない」と意気込む。