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 本稿で使う「日本的」とは悪い意味である。不合理・非合理・情緒・許し合い・曖昧模糊・苛め,といった事柄を「日本的」と総称している。日本のメディアに接すると,日本的な話題が日本的に報道され,何とも言えない気分になることがしばしばある。

 筆者は報道を生業としているわけだが,そのことはいったん棚上げし,最近不愉快に思った「日本的なもの」を巡る「日本的な報道」についていくつか書いてみたい。

 日本的な話題の一例は,大相撲の元親方や力士が逮捕された事件である。少し前,モンゴルに帰ってしまった横綱についてメディアは批判的に報道していたが,今回の事件が起きてしまった以上,「大相撲の精神はやはり日本人横綱でないと継承できない」という言い方であの横綱を批判することはできない。そもそも大相撲ばかり批判する訳にもいかない。旧日本軍で同様の苛めがあったことは知られているし,旧日本軍の体質を継承した日本の企業や組織において,似たような苛めは起こりうるし,起こっている。

 日本的な報道の別な例は,女性歌手の失言事件を巡るものである。事件というほどのことではないが,謝罪会見をさせ,新譜の販促を控えさせるなど,結構な騒動になっている。確か関西弁で話す歌手だったと思うが,彼女の“失言”に対し,「あほなことを」と同じ関西弁で笑い飛ばすわけにはいかなかったのか。

 いわゆる一連の偽装問題とその報道もまったく日本的である。虚偽の記載をして消費者を欺くのは確かにまずい。ただ,経営者を辞めさせようと「偽装に手を染めた」といった表現を多用する報道を続けていても,なんら生産的ではない。なぜそうしたのか,そうせざるを得なかったのか,法律や制度上の問題や不備は無かったのか,あったとすればそれはなぜか,といった事を追及したほうが真の再発防止になる。営業を再開した和菓子の店舗に,消費者が列をなしたのは面白かった。

 こういう例は枚挙にいとまなしだが,このまま書き続けていくとITproのコラムに相応しくなくなるので,IT関連の例も入れることにする。ここ1年間,もっともメディアをにぎわせたIT関連の問題といえば,社会保険庁の年金管理システムの記録不備であろう。名寄せができる,できないと,政治家やメディアは延々と騒いでいる。

 堂々巡りの議論をするより,国民総背番号制の導入を堂々と提唱してはどうか(関連記事「国民総背番号制度と情報システムを議論する」,「国民総背番号制度を冷静に考える議論する」)。社会保障番号制度の導入が検討されているが,様々な制度で番号を統一する所までは踏み込んでいない。一人ひとりにコードが付いていれば名寄せは非常に容易になるし,税の徴収も効率的にできる。年金問題が騒ぎになってから,一時期だけ,背番号制度の検討について識者の意見が報道されたことがあったが,最近は表に出てこない。

 本稿の題名に,「2008年版」と付けたのは,4年近く前,2004年3月に「『日本的なもの』への不快感」という短文を公開したことがあったからだ。パソコンに溜まっていた原稿群を整理していて,その短文を見つけ,読み直したことが本稿を書くきっかけとなった。4年前の原稿を以下に再掲する。


 2004年3月8日付の日本経済新聞夕刊を翌朝になってから読んだ。そして不愉快になった。読んで不愉快になった記事は3本あった。国産ロケットH2Aの事故に関する最終報告書案,鳥インフルエンザ騒動の渦中にあった養鶏業者の夫妻自殺,そして野球のアテネ五輪の監督問題,である。

(中略)

 例えば,H2Aロケットの事故調査報告書である。事故の直接原因は補助ロケットのノズル破損であるがその損傷は想定外であった,といったことが書かれているという。開発段階でノズルの形状に問題点が指摘され,対策を講じたものの,設計を見直すところまではいかなかった。「設計当時の知識では事故を予想できなかった」そうである。

 しかし想定できるリスクを洗い出し,そのリスクの重要性について順番を付け,対処方法を決めておくのがリスクマネジメントである。今回のリスクをどのくらいと見て,どんな対策を講じたのか。あるいはまったくリスクと見ていなかったのか。これは事故を予想することとはまったく異なる。日経新聞は,「宇宙航空研究開発機構の安全管理・点検体制の甘さを指摘する専門家が多い」と指摘している。ただし問題は,安全管理というより,もっと大きなマネジメントの仕組みのほうにあると思う。

 次に養鶏業者の夫妻自殺について書く。一報に接して「鳥インフルエンザ問題のさなかに自殺するなど,責任をとったどころか責任逃れでしかない。けしからん」と指弾する日本人は少ない。日本人は「死んでお詫びする」ことを許容するからだ。死んでしまえば「痛ましい」「お悔やみ申し上げる」「冥福をお祈りする」という声が必ず出る。そして自殺の前段階に何か問題があったとしても,それを執拗に追求することは野暮とみなされる。

 ここからは想像である。自殺した夫妻のもとには連日,メディアの記者が押しかけ,「責任をどう考える」と迫っていたのではないか。そのくせ自殺してしまうとメディアは思考停止になるらしく,「関係者に衝撃」「従業員は言葉を詰まらせた」としか書けなくなる。お前も記者だろう,何が言いたいのか,と問われれば,「谷島は感情に流されず,できる限りよく考えて問題を追求し,報道する努力をする」と答える。そうした努力を日頃からしておれば,今回の夫妻自殺について真正面から批判を書けるだろう。

 最後に,野球について書く。新聞報道によると,アテネ五輪日本代表編成委員会の委員長は8日,「あくまでもアテネは長嶋監督。後任のことなど考えていないし,考えるつもりもない」と語った。3月末に締め切られる五輪候補メンバーの監督については,長嶋氏を登録する意向で,委員長は「予選リーグまでは不在で,準決勝から指揮を執ってもらう方法もある」と私案を述べたという。

 記事を見るとこの委員長は海外から帰国したばかりとある。コメントをとろうと,記者が押しかけたのではないか。長嶋茂雄監督は脳梗塞で入院中である。しかし記者は「アテネの監督をどうします」と詰め寄ってくる。委員長としては,こうしたコメントを出すしかなかったのだろう。「長嶋監督が指揮をとれないリスクを考慮して,代案の検討に入る」などと言ったら叩かれてしまう。

 しかしである。野球の監督の権限がどの程度のものか知らないが,仮に指揮官あるいはプロジェクトマネジャーに相当する存在であるとすると,直ちに長嶋氏に代わる候補者を探し,3月末にはその人物を登録すべきであろう。長嶋氏の存在がいくら大きくても,3月に脳梗塞を起こした人に8月のアテネへ行け,というのは間違っている。

■変更履歴
女性歌手を「大阪弁で話す」としていましたが,彼女は京都出身でした。お詫びして「関西弁で話す」に訂正します。[2008/02/13 11:54]