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 「とにかく真面目」。4月1日付でマイクロソフト日本法人の代表執行役社長に就任する樋口泰行氏に対する周囲の評価はほぼ一貫している。米国でMBA(経営学修士)を取得、45歳で4000億円企業の社長に就任後、経営危機に陥っていたダイエーの経営再建を任されるといった華麗な経歴とは似合わない「泥臭さ」が信条だ。

1年間に3回しか外出しなかった

日本法人の社長に昇格する樋口泰行氏
(写真:小久保松直)

 樋口氏は1957年生まれの50歳。兵庫県出身で、80年に大阪大学工学部を卒業後、松下電器産業に入社するなど、関西暮らしが長かった。松下時代は溶接技術者として町工場を駆け巡る日々。著書『「愚直」論』(ダイヤモンド社刊)では「学ぶべきものもあったが不満も多かった」と当時を振り返っている。

 転機は89年。米ハーバード大学経営大学院に社費留学したときだ。あるプロジェクトで仕事を共にした米IBMのスタッフたちから、「強烈なカルチャーショックを受けた」同氏は、米国流の価値観やマネジメント手法を学ぶべく、MBA留学を渇望。猛勉強の末、社内選考を通過し、留学を果たした。

 最初の1年間は「キャンパスから3回しか出なかった」ほどの勉強漬けの生活。91年6月にハーバード大学経営大学院を卒業し、MBAを取得した。ちなみにマイクロソフトにはCEO(最高経営責任者)のスティーブ・バルマー氏や日本法人社長ダレン・ヒューストン氏などハーバード出身者が多い。

45歳で日本HPのトップに

 帰国後。いったんは松下に復帰するが、「MBAの技量を生かすため」、92年4月にボストンコンサルティンググループに転職。その後、94年7月にアップルコンピュータ、97年7月にコンパックコンピュータと移り、IT業界でキャリアを積んでいく。コンパックでは、コンシューマ製品事業部長兼PC製品事業部長や本社バイスプレジデントなど要職を歴任した。

 02年11月、日本HPとコンパックコンピュータの合併により、日本HP執行役員インダストリースタンダードサーバ統括本部長に就任する。そして03年5月、高柳肇氏の社長辞任を受けて代表取締役社長兼COO(最高執行責任者)に就任。営業組織の若返りなどで社内の活性化を進めた。

渦中のダイエー社長からマイクロソフトへ

 そして2年後の05年5月、手腕を買われ、当時産業再生機構の傘下で経営再建中だったダイエーの代表取締役社長兼COOにスカウトされる。ここでも現場との対話を徹底的に進め、不採算店舗の閉鎖や課題の食品事業の建て直しに尽力した。だが、営業回復の遅れやスポンサー企業との意見の食い違いから06年10月ダイエー社長を退任した。

 その後、数多くの寄せられたヘッドハンティング話の中から、マイクロソフトを選択。07年3月、マイクロソフト代表執行役兼COOとして2年ぶりにIT業界への復帰を果たす。「どこで働くよりも、誰と働くかを重視した。米本社のトップが全く慢心していないところに感銘した」と言う。

 マイクロソフト入社後は主に法人向け事業を統括。「1年間の習熟期間を経て」、4月1日付で名実共に日本法人のトップに就く。当面はヒューストン氏の路線を継承しつつ、徐々に日本法人の役割を強化する。樋口カラーが明確に打ち出されるのは、新しい会計年度が始まる7月以降になりそうだ。