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村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。専門分野は地域医療、予防医学、地域包括ケア、チーム医療。

* このコラムは、メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。


■2月1日 メタボビートキャンプ in 夕張

昨年の10月に夕張での新しい試みとして、NPO法人イムノサポートセンター夕張リゾートと協力してメタボ改善ヘルスツーリズムツアーを開催しました。

夕張の環境を生かし、安全で健康的な食材、歴史、健康を学ぶといった企画です。大学、観光会社、地元のホテル、医療機関が協力して企画された新しい形の町興しだと思います。

食材は大学の栄養学の教授と地元のシェフが北海道の素材にこだわり、カロリーを抑えて美味しい料理を1カ月以上かけて練り上げました。

メニューの一例として、さらさらレッドと呼ばれる北海道産の玉ねぎを使ったスープカリーやフランス料理のコースや一皿80kcalのバイキング等がありました。

温泉も入浴のために専門の医師が安全で効果的な入浴方法を指導します。運動もインストラクターやヨガの先生が指導し、運動の中には露天掘りの石炭をつるはしを使い自分で採取して、自分で掘った石炭を燃料に野外で料理を作るといった企画もありました。

我々はメタボリックシンドロームに関わる検診をして指導をしました。

元々「健康づくり」とうのには暗いイメージがあります。我慢、節制、根性等、医療機関というのは本来病気を探すところで、利用者の楽しみといった事には縁遠い場所です。

その点旅行やリゾートのプロは利用者の楽しみや満足には長けている訳ですから、彼らと協力することで「楽しみながら健康作りをする」事が可能ではないかと思いました。

実際に東京を中心に都市部の方が10人以上参加されました。

いくら箱モノを作ってもディズニーランドには敵いませんが、環境だけは北海道の一番の財産です。これを生かして健康をテーマに町興しができたら嬉しい限りです。

春先には杉の木が1本もない夕張の環境を生かして、「花粉症ツアー」を企画しています。

都市部で杉の花粉症に悩む方を招いて、マスクをとり北海道の大自然の中で過ごしていただき、安全な食材を楽しんでもらい、汗を流して温泉を楽しみ健康を意識していただく

といった内容です。

せっかく北海道へ来て観光するのでしたら、ついでに環境や健康も楽しめたら嬉しいのではないでしょうか?おそらく日頃のストレスがかなり軽減される良い時間を過ごせると思います。

実はこれらのツアーは企画側の我々も随分楽しんでいて、地域の良さを再認識したり、利用者の方が楽しんでいる姿を見ることは職員にも良い刺激となります。

具体的になりましたらお知らせしますので、興味のある方はぜひご参加ください。


■2月8日 夕張医療センター開業までの道のり

私は平成18年12月24日に当時の夕張市立総合病院に3人目の医師として赴任しました。

171床の総合病院とは名ばかりで、昭和40年代に建てられた老朽化した病院で、私が来るまでは常勤医が2人。その人数で24時間体制の救急対応、病棟、外来に透析をこなしていました。

入院患者さんは20名前後でそのほとんどは区分1、つまり医療よりも介護が必要な人達でした。(ほとんどが社会的入院だったということです。)

すでに機能的には診療所以下だったのに看板は総合病院で、この事を知りながら行政も住民も放置していました。

マスコミは医療崩壊で住民の医療が後退すると大騒ぎしていましたが、実は夕張には医療機関はここを含めて5つあり交通の便もいいので、すでに多くの患者さん達は送迎付きの近隣の他の医療機関を利用している、というのが実態でした。

実は一番の犠牲者は、公的な医療が無くなる事を何とか食い止めていたのに、その事をまったく評価されていなかった2人の医師だったのかもしれません。

夕張市から委託を受けたアドバイサーの提言もあり、平成19年3月で夕張市立総合病院は閉鎖され、公設民営化という形で再出発することになりました。

その指定管理者として私共の医療法人財団 夕張希望の杜が決まりました。指定管理者は全国に公募しましたが、夕張がこれだけ話題になってはいても我々以外は誰も手をあげませんでした。

老朽化した建物、莫大な維持管理費、バックアップは期待できない破綻したいい加減な行政、我儘な一部の住民等引き受ける材料など無いと思えました。

「何とか病院として維持して欲しい」という内外の声もあり、一部の議員や住民の妨害や行政の先送りで法人の許認可が無意味に遅れ、4月からの開業に向けては苦難の連続でした。

破綻したという事実は受け止められず、被害者意識ばかりでした。老舗のプライドや歴史はこんな時には邪魔になるばかりです。

実際には3月の1カ月間で法人の立ち上げ、職員の再雇用、医師の募集等、とても現実的ではない条件が揃いました。

しかも、トイレの改築、バリアフリー化等の当初の条件も、退職する幹部職員は全て丸投げにして逃走し、資金面で苦しい我々にはますます厳しい条件となっていきました。

破綻をさせた張本人達が今度は再生の邪魔をする形になっていました。住民も真夜中にタクシー代わりに救急車を使い、病院職員を疲弊させ、無理な要求を繰り返していました。

道庁の後押しもあり、許認可等の手続きは何とか3月には間に合いました。そんな中で再雇用の人選や条件の設定等寝る暇もないほどの決め事を日常の業務をこなしながら進めていきました。

3カ月間の総合病院勤務で、「普通のやり方では駄目だ」という事を悟り、ここでの医療の展開を根本的に考え直す事にしました。

基本的には

  1. 「以前の夕張のやり方」は破綻を再現するだけなので全て止める
  2. 医療機関はここだけではないので、診療所化に伴い対応できない事を無理にやらない
  3. 住民に積極的に現実を認識してもらうために語り続ける
  4. 権利ばかり主張する一部の住民より、真面目に取り組む大多数の患者さん達が報われるように考えていく
  5. 当たり前の事を普通にやる 

という5項目を基本に医療機関の再生が始まりました。

「以前のやり方を残しつつ少しずつ改善すると」いうやり方が普通に思えるかもしれませんが、破綻した北海道の地域ではこのやり方だと改善はできても改革はできませんし、せっかく一番最初に破綻したメリットが消し飛んでしまいます。

夕張が破綻したのは国の政策が悪かった、道庁の監督不行き届き等と言われていましたが、町の方針を決めた議員や首長を決めたのは住民ですし、住民が自分達の事しか考えず、だらしないから破産したと思っています。

その自覚がない町に再生などありません。

夕張の病院の未納金が2億円、市営住宅の滞納3億円、給食費の未納率北海道1位、生活保護25%という数値を見て、普通でしょうか? 私にはそう思えません。

開業して約1年近くなりましたが、現在は夜間休日のコンビニ受診や救急車は激減しています。外来でも真面目な患者さんが増え、高齢者でも糖尿病の血糖値や血圧が安定した人が目に見えて増えています。

次回は夕張医療センターになってからの取り組みについて書いていきたいと思います。


■2月15日 夕張医療センター開業

平成19年4月1日に医療法人財団 夕張希望の杜 夕張医療センターが開業しました。計画では、19床の有床診療所と40床の介護老人保健施設を併設した施設として営業を開始する予定でいました。

しかし、許認可の遅れや夕張市の先送り体質のお陰で医師募集が遅れ、医師1人の有床診療所としてスタートしました。

医師の確保については、ドクタースタイルという民間医局の協力で、医師募集用のビデオを作り募集したことで2人の定員のところ10人近い募集がありました。

しかし、3月の時点ではすでにほとんどの医師が行き先を決めており、業務調整などで7月からの赴任となりました。

規模や患者数を考えますと医師1人では大変だと思っていましたが、慈恵医科大学の配慮で、外科の医師1人が3カ月間応援に駆けつけてくれました。

開業当初はとても大変でした。

破綻した町の住民というのは、決して皆さんが被害者、弱者で正しい人達ではありません。

おそらく住民の割合かえら言えば一部なのでしょうが、そこの自治体に住民としても住みたいと思えるならばそこは良い町ですが、北海道びいきの私でさえ破綻した理由が住民にあると思えました。

過剰な権利意識と自分の健康の丸投げ、救急車はタクシー代わりで、はっき言ってここを辞めていった医師の多くは、医療資源を浪費し権利ばかり主張するここの住民が嫌で辞めていきました。

行政の不作為や医療政策の失敗も関係していますが、それが主たる原因ではありません。おそらく去った医師の多くは二度とここでの勤務はしたくないというのが本音だと思います。

旧産炭地は公共サービスに恵まれすぎていたと思います。医療費は無料、暖房光熱費は無料、食費も入浴料も無料、ごみも無料で分別もないといった生活を送っていたせいで、それが当たり前になっているのかも知れません。

7月から医師2人も赴任し、当初の計画通り老人保健施設も運営を始めました。

破綻して辞めていった職員に対して、残った人達というのはやる気のある人か何処へも行けない人達だと思います。幸い看護師達は旧総合病院の体制に疑問を持ち、やる気のある人が多かったと思います。

現在は医師3人体制で19床の有床診療所、40床の老人保健施設に加えて、ディサービス、訪問診療、訪問看護もスタートし、在宅支援診療所の申請も通りました。

夜間休日の急患や救急車も激減しました。

様々な形で「かかりつけ医」について広報し、医療センターは在宅も含めたかかりつけの患者さんと観光客、町の他の施設(特別養護老人ホームやグループホーム)に対して24時間体制で診療し、他は4か所ある他の医療機関にお願いする形をとりました。

今までは夕張の他の医療機関は夜間・休日の救急を当番医も含めて夕張市立総合病院に依存して来ました。つまり不採算な部分を公的機関に押しつけてきたのですが、破綻した以上は社会資源を有効に使うしかありません。

地域の医師や医療従事者が疲弊していかないためにも、この様な取り組みは必要だと思っています。行政や救急隊は相変わらず過去のやり方に拘っていて破綻を受け入れていませんが、住民の多くが理解し始めています。

住民も頑張って、それに我々も答えるといった関係でないと長続きはしないと思います。

財政的には苦しいですが、老人保健施設、在宅医療の立ち上げや充実といった作業は、おそらく高齢化が進みほとんど在宅医療が充実していない北海度では大切な作業だと思います。

夕張医療センターは老人保健施設やリハビリが主役で、医療機関や在宅はそのサポートであると考えています。

「住民のwantsに過剰に答えて、needsに答えていないとモンスターを生んでしまう」という言葉をインターネットで見ましたが、夕張はまさに日本の縮図だと感じます。


■2月22日 地域医療再生のモデル

先日私は千葉県東金市へ講演に行ってきました。NPO地域医療を育てる会主催の連続講座「夢と希望を創る地域医療プロジェクト」第5回の「限られた医療資源と住民意識」という会です。

全国で医療崩壊という言葉が聞こえてくるようになり、社会問題になっている中で、住民自身が立ち上がり、考え、行動し、医療を勉強する事で再生しようとしている試みです。

週末の休みに自腹を切ってわざわざ講演を聴きに来て、グループに分かれてディスカッションをしていました。

その課題は「コンビニ受診を止めよう!」「予防医療について」「かかりつけ医を持とう!」といったものですが、参加した住民の意識の高さには驚かされました。

「大学に依存するのではなく、自分達の地域の医療機関を大切に使って医師は地域で大切に育てよう。」といった話が出ていました。

国の政策が悪い、道庁が悪い、医師が悪いと批判ばかりして、誰かのせいにばかりしている北海道の現状を考えると、羨ましい活動でした。

ここばかりではありません。

兵庫県の県立柏原病院小児科を守る会では「子供を守ろう、お医者さんを守ろう-本当に必要な人が、必要な時に受診できるよう、コンビニ感覚での病院受診を控えませんか」という活動を始めています。

もちろん住民の皆さんに地域の医師達が協力して、勉強会を開き、病院受診に関するパンフレットも作っています。さらに最近では「医療の不確実性を理解しよう」といった運動も始めています。(どんなに正確な診断や治療をしても100%病気が治るわけではないという事を認識しようという内容です)

住民が自らの地域を考え、自分達で行動するという点では共通しています。責任を誰かに押し付けて、権利ばかり主張して自ら行動しない人達を社会的には「子供」というのだそうですが、この人達は本当の「大人」だと思います。

会に出ていて参加者の方と話をしていて驚いたことがありました。最近の報道で、「高齢者が救急車で搬送していたが、タライ回しにあい亡くなった」といった内容のものがありました。

それに対して「タライ回しという表現は医師の怠慢をイメージさせてよくない。どんな状況で各医療機関がなぜ受けれなかったのかをキチンと検証して報道しないと問題は解決しない!マスコミは不勉強すぎる!」と怒っていました。

マスコミは相変わらず住民は正しくて、弱者で、被害者で民意はいつも正しいというスタンスで報道し、現場で寝ないで働く医療従事者を非難し、疲弊させています。

インターネットである医師がこんな事を書いていました。

 医者は包丁のようなもの

  • 研がないと切れなくなる
  • 研ぎ方を誤ると切れなくなる
  • 研ぎすぎると使えなくなる

 患者さんは医者の砥石です

なかなか深い文言だと思います。

北海道に東金市や柏原のような活動が起こるのは何年先になるのでしょうか?やはり10年以上遅れているというのが実感です。


■2月29日 今年の北海道の冬

北海道生まれの私ですが、流石に今年の冬は雪かきの多さに参っています。

夕張は標高が300m位あり、平地より気温が低いのですが雪も多いのです。普通北海道で気温が低いのは晴れた日で、放射冷却現象というのが起こり冷え込みます。案外気温が比較的高い時に大量の雪が降るという感じなのですが、夕張は氷点下10度以下の低温で大量の雪が降ります。

2月に2日間で1m以上の雪が降った事がありました。この時は私の家でも車庫の屋根の雪下ろしも含めて4-5時間かかりましたし、市内ではバスも止まり、医療センター職員はほとんど一日中雪かきに追われていました。

先週末も爆弾低気圧がもたらした厳しい冷え込みと大量の雪と風で道路上には吹き溜まりができて、車が走れなくなった日もありました。

丁度私は静岡と東京へ出張で、5時半の飛行機で帰る予定が欠航や遅れで新千歳空港に着いたのが10時過ぎになりました。

雪で高速道路も閉鎖され、通常の道路もひどい状態で夕張に着いたのが12時過ぎとなり、それから氷点下20度の中で雪かきをしてやっと家に入りました。こんな事はめったにないのですが、ワクワクする1日となりました。

北海道の冬道を走るために必要な七つ道具というのがあります。脱出用のスノーヘルパー、牽引用のロープ、バッテリー上がり対策のブースターケーブル、雪堀用のスコップ、軍手、低温用ウオッシャー液や解氷スプレー、車に着いた雪を払うスノースクラッパー等です。

私はこれに加えて救急キット、緊急用の携帯食料と水、寝袋等も積んでいます。まさにサバイバルといったところです。ちなみに北海道の人はタイヤチェーンをほとんど使いません。

確かに生活するには大変な環境です。しかし、この厳しさがあるから春がとても有り難く感じられて、四季の変化が生活にとても影響するから自然を身近に感じられるのだと思います。

厳しい冬のお陰でスキー場は絶好調で、雪質も最高なのが今年の冬です。そう考えますと案外楽しく過ごせるものです。

おそらく道具が発達し、温暖化が進んでいる今より、昔の環境の方が厳しかったはずです。

夕張は日本一高齢化が進んでいますが、毎日雪かきに汗を流しているたくましい高齢者が多いと最近感じられることが増えました。

まだまだ夕張ではスキー、スノーボード、スノーモービル、トレッキング等のウインタースポーツや雪景色を見ながらの温泉を楽しみ事ができます。

杉の木が無いので花粉症もありませんので、本当の冬を感じていただけると思います。

ぜひ一度お越しくださいませ。

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財政破綻した夕張市と共に破綻した夕張市民病院。その経営を引き継いだ「医療法人 夕張希望の杜(もり)」を広告収入で支援するメールマガジン。購読は無料。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付される。発行者は木下敏之氏(前・佐賀市長/木下経営研究所所長)。村上智彦医師のコラムのほか、病院のスタッフ、関係者などの寄稿を掲載している。