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従来180度異なる“物理法則”のもとのでネット上の「ものづくり」

 では,後半,ソフトウエア以外の領域におけるオープンソース的なあり方についてお話します。冒頭,知識社会とか脱工業化社会の基本原理なんじゃないか,と言いました。そんなことを考えているのは自分だけじゃないか,と心配していたのですが,先週,一橋大学のジョナサン・ルイス先生が,この講義でオープンソースは400年来のイノベーションとおっしゃっていた(ルイス氏の講義動画)。そうか,自分だけじゃないんだと安心していたところです。

 ソフトウエア以外の,こういう,ネット上での不特定多数のコラボレーションによって新しい価値が生まれる,あるいは他の人に対して改変を許す形で作ったものを公開するという,オープンソース的なあり方。みなさんよくご存じのWikipediaはその代表例です。ニコニコ動画もネットのコラボレーションによって素晴らしい作品が生み出されていますよね。ある人が素材を提供し,別の人がそれを曲にして。さらに別の人がそれにアニメーションをつける。そして「作り方講座」という動画もたくさんアップされていて,動画や音楽の作り方を懇切丁寧に教えている。

 このような,オープンソース的なあり方が工業社会とは異なるパラダイムであるというのは,オープンソースもWikipediaもニコニコ動画も,工業製品とは別の物理法則のもとで生み出されているからです。知らない人々同士が集まって,それでいて秩序を持った非常に優れた作品が生まれてきている。そして必ずしも動機は金銭ではない。これは,工業主義社会ではありえない事態です。

 産業革命以来続いてきた現在の工業社会というのは,以下の前提のもとで制度や価値観が整備されてきました。

・同じモノをもうひとつ作るにはコストがかかる
・組織内のコミュニケーションは組織外のコミュニケーションより効率が高い
・生産設備は労働者よりコストが高い

 それぞれ当たり前です。こういう条件があったからこそ,同じことを黙々と繰り返す労働者が優秀な労働者であり,大企業は小企業より有利であり,労働者は工場やオフィスに定時集まり働くという,現代社会の仕組みや常識というものができてきた。

 ところが,ネットとパソコンのもたらした状況というのは,この前提をすべてひっくり返しました。

・複製(コピー)のコストは事実上ゼロ
・組織内のコミュニケーションと組織外のコミュニケーションの効率に差はない
・生産設備(パソコンとネット)のコストは人権費より低い

 このあたりの議論については,上武大学大学院教授 池田信夫氏の「過剰と破壊の経済学―「ムーアの法則」で何が変わるのか?」(アスキー新書)で詳しく議論されていますので,興味のある方はぜひお読みください。

 この,180度違う境界条件のもとで,最適な生産様式として浮かび上がったのがオープンソースです。

 さらにオープンソース的なあり方は,ソフトウエアやコンテンツだけに留まらないのではないかと主張している本があります。「ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ」(ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ著, 井口 耕二訳,日経BP社刊)では,アメリカの金鉱山会社米GoldCorpという会社の話が出てきます。GoldCorpは,それまで鉱山会社の競争力の源泉と思われていた地質データをインターネットで公開しました。そうすると世界中から鉱脈の所在地を予測した分析が寄せられ,その結果,250トンの金を発見したそうです。  

ネットで企業が製品開発やマーケティングのアイデアを募るサイトInnocentive
ネットで企業が製品開発やマーケティングのアイデアを募るサイトInnocentive
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 またInnoCentiveというサイトがあります。これは,解決したい課題を持つ企業が,課題を登録して,それを解決した人に報酬を払うというサイトです。ウィキノミクスには,ある医薬品企業の課題を解決した化学の技術者が2万5000ドル,約250万円を受け取ったという例が出てきます。化学や医学,生物学だけでなく,エンジニアリングやコンピュータサイエンス,マーケティングなどのジャンルがあります。 

 クリエイティブコモンズというライセンスをご存じでしょうか。自分が作った作品を,非商用なら使っていい,あるいは商用に使ってもいい,改変してもいいとか,作者が指定した範囲内で他の人が利用してもよいということを明示して公開するライセンスです。先月ですが,新生銀行は同行のIT手法をクリエイティブ・コモンズで公開すると発表しました。新生銀行がインド工科大学でIT手法に関する講座を開設するとともに,その内容をクリエイティブ・コモンズで公開しようとしているのですが,このような主に芸術の分野で用いられてきたライセンスがビジネス手法の公開にまで使われるようになってきています。  

 オープンソース・ソフトウエアというのは,これからの知識社会,脱工業化社会において「何かを生産する」かたちの先駆けであると私は考えています。